2009年7月2日

スッタ・フリダーヤ

 伊藤画伯から「いま一つ奥行きというか、深みが感じられず 試行錯誤の状態」なのだ、というご連絡を頂きました。

 手直しというより、全然別な絵を「こっちです!」と送られてきそうな予感が…

 その前に、私は即座に浮かんだインプレッションを記しておきます。

 この絵のタイトル、というより私が書こうとしている詩のタイトルかもしれませんが、
 「スッタ・フリダーヤ」あるいは「スッタ・フリダーヤ・ニパータ」ですね。

 もちろん本歌取り、悪く言えばパクリですけれど、「スッタ・ニパータ」と「フリダーヤ・スートラ」からとってきました。

 「スッタ・ニパータ」についてはどこかで書いていると思いますが、「仏陀の言葉」として邦訳されている、仏陀の言葉を伝えている最原初期の仏典とされています。

 スッタとは南伝仏教のパーリー語で、織物で言う縦糸です。漢語では「経」と訳されます。
 ニパータとは、寄り来たりしモノとか、集まりの意味で、あわせて経典となります。漢語にしますと、日本語からの解釈が混じり込みますので、原語の意味を生かすためにはパーリー語そのまま表記とさせていただきます。

 「フリダーヤ・スートラ」は漢語で「般若心経」の「心経」の部分です。フリダーヤとは心臓、転じて中心なるものくらいの意味です。また、スートラはスッタの音便変化で、より後世の言葉です。

 意味が通じるように漢語を使えば原語のニュアンスが死んでしまいますので、原語そのままを並べ替えて、タイトルにしたいと思う。

 はじめに言葉ありき。言葉が連なって縦糸を織りなし、行く方来し方の中心である現在、それは血液を全身に送り出し呼び戻す心臓として表象される。スッタは集まり、再び散じていく。

 色の重なり具合を見ると、右側のダーク・パープルが過去を意味しているように思う。
 パープル・シャドウ、なにやら昔のグループサウンズのバンド名と同じようですが、わたし的には「蒼(あお)ざめた過去」とでも。
 シャドーというのは心理学で言えば自分の人格に潜む暗く醜い側面、仏教で言えば貪・瞋・癡(とん・じん・ち)という、文字通り影の部分ですね。
 自分の人格といいましたが、これは人間性一般の普遍的な意識構造だといってよい。

 何か右後方を向いている人の姿に見えてきます。思考は連想の連続ですから、連想に任せます。


 真ん中が心、文字通り中心です。これが、スケルトンの心臓図という感じがします。血液が流れ生きている。今現在、生きているという表象性を感じる。


 そして左側は意味的には未来になるはずですが、何故か閉ざされているようです。開かれていない…
 印象的には、天の精、地の精によって支えられている壁のようなものによって遮られている、という感じです。

 壁と見えるものは、あるいはドア、あるいは扉なのかもしれない。
 その左側には光と影のような縞模様が見えます。

 彼または私は異次元へのドアを開けるだろう。
 その先が、光の世界であってくれたらいい…
 しかし、影の世界、あるいは深い霧の世界に踏み込んでしまうかもしれない…


 画家伊藤雄人は、シャドーとの対決、言葉をかえれば自己超克という問題に対面しているのではないか、と推察します。

 人間性の持つ好ましからぬ影の部分、これを見据え、解体し、超克していくことは人格的に成熟していくための最大の課題ですけれど、とりわけ画家や音楽家作家などに顕著にその傾向が見て取れる、といわれます。

 何故かといえば、表現者というのは過剰過ぎる倫理意識を抱えているからですね。
 自分が美であり善であると思うものを表現するわけですが、否応なしに自分がそこに見えてくる。

 若いうちはそういうシャドーの部分こそ人間の本質だと思い込んで、ことさらそういうのをえぐり出してみせるようなことをやりますが、それは心理的にはペルソナとの相克の問題です。

 けれども、精神的に成熟していくと次第にシャドーとの対決・超克を課題とするようになっていくのですね。

 芸術家あるいは表現者の創作意欲の源にあるのはこのような内面的な相克なのだ、といってよい。

 シャドーと対峙するようになると、それこそが人間性の本性だと思ってやってきた過去の行動・行為・表現は、若さ故に愚行というには恥ずかしすぎるものに思えてならない。

 実生活においても、「立派なことを書いたりしているけれど、実際には女たらしのスケベで、金に汚い、俗物根性の持ち主だ」などといわれて、自分の表現したものを汚したくないと思うようになる。

 ですから、過剰な倫理観を背負い込むようになるもので、この倫理意識とシャドーとの相克が成熟期のモチベーションとして、通奏低音のように基本モードとして作品を彩るのではないかと思う。
 

2009年6月28日

絵画とのジュガルバンディー

 伊藤画伯と二度目の打ち合わせをしたあと、最初の画像がメールで送られてきました。

 打ち合わせの時、「ドアというイメージで一つ描いてみる」ということで、私がそれなら「扉なんかのイメージも包含されますか?」という話になりました。

 私は、ドアあるいは扉なる言葉から喚起される自分のイメージを得ようと準備をしていましたが…

 いただいた画像はこれです。



 それで、伊藤画伯のメールには、
 「色調が明るいとのことですが、実際には少し沈んだ色調です。

 更に奥行のある画面を作ろうと、新たに紙に下地を施しました。

 タイトルと絵とはかけ離れてしまいましたが、いい加減な性格なので」

 ということでした。

 まず、この色調ですね、実物よりも明るいかどうか、ご連絡いただきたく思います。
 私の手元にあれば、フォトショップで色補正が出来るのですけれど、まあ詩を書く分には影響はあまりありません。見せる分には、正確に再現したいと思うでしょうから。


 それで、私もひらめいたのですが、
(1) 絵が先にあって、私が詩を書く…作詞型
(2) 詩が先にあって、画伯が絵を描く…挿絵型
(3) タイトルを先に決めて、各自の作品を突き合わせる…同床異夢ならぬ異床同夢方式

 これらを順不同で提示して、見る人に、上の3っつのうちどのタイプかを視てもらうというのは面白い試みになるかと思う。

2009年6月6日

『書物の解体学』から「田村隆一詩集」(4)

 ひとの思考というのはほとんど瞬時といってよい超高速で展開するのに、それを記述しようとすると延々と時間がかかります。
 「書物の解体学」の方法論を探ろうとして取り上げたのですが、田村隆一の深淵にはまり込み、吉本の言葉に首根っこを押さえられて、退くことができない状態ですね。

 このブログの意図とは違う世界を引っ張り込んでしまって、別ブログを作るかとも考えています。それをやると、このブログは多分終わりになってしまうかもしれません。


 さて、「虹色の渚から」で田村と出会い、この詩が収められている「新年の手紙」以降、彼の詩が意図して言葉の軽味を求め始めたことに違和感を感じ、その詩業を遡るようにその世界をたどっていった。

 この変貌について、吉本は次のように書いている。


 「中期以降この詩人は時熟し、変貌する。一本の疾走する矢であった詩は、生からしぼり出される抽象的なしずくをとりあつめて湛える壺に変貌する。鬱然とした生の記録であり、思索であり、感覚の紀行文であり、行動から溢れてくる思想の時差であり、それらを詩という器に盛り込んだ祝祭のような言葉の森林となる

 読解する前に、吉本の評論の言葉が優れた詩のようであることに、感嘆する。
 「一本の疾走する矢」という暗喩の一言で、田村隆一という詩人の初期作品の特質を言い表している。

 ここはどういうことを言っているのかというと、「四千の日と夜」、「立棺」の田村の言葉は、贅肉を極限までそぎ落とし、抽象的な思考の表現と言いうるほどの詩形態となり、ただとらえるべき対象を射貫くために研ぎ澄まされて放たれた矢そのものだ、ということです。

 怒っているのでもない、嘆いているのでもない、嘆息しているのでもない。かれは、幻を見る人として、自らの言葉を直立させることにのみ、意を注いだと。


 それに対して、壺というのは永遠に黙して受け容れるもの、のメタファーである。
 射貫くための武器であった「疾走する矢」が、「すべてを受け容れる」壺に変化していく。

 吉本は、詩人の感性で田村の詩のキーワードをとらえて、その変遷を提示してみせる。

 「この詩人の共同体の感性を暗喩するキイ・ワードからは、「死」と「雨」とが消えて、「窓」と「鳥」だけになる。もっと細かくいえば「鳥」も消えてしまって、そのかわりに「木」があらわれる」


 木は愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて  枝にとまるはずがない
 正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて  空にかえすはずがない      (「木」)


 確かに、私もまた田村の詩のキーワードを捉えてはいたのだけれども、解釈の仕方が違っているようだ。何が違うのかといえば、木というものに対する連想が異なる、ということに尽きる。


 「この詩人の中から上昇し、また落下する「鳥」の動的な比喩は消えて、そこにいつまでも佇立しているようにみえて、じつは地下から吸い上げて空に上昇させている何ものかを秘めた「木」の像的な比喩があらわれる。この比喩の変貌には偶然でないものがうかがえよう。

 …として、吉本は、田村の日常の平穏な生活の中に、(戦争の「死」という)死者の時間が染みわたっていったのだ、と捉える。

 わたしにとっての木というのは、果実を実らせ、それが地に落ちて新たな芽吹きを起こさせる輪廻の象徴というイメージがつきまとう。わたしにはグミの木に登ってはグミの実を味わった少年時代から、無花果や柿をもいで食べた青年期まで、「成りもの」の木に慣れ親しんでいたということがある。

 その「成りもの」の木のイメージに、新たなイメージを付加することになったのは屋久島で生涯を終えた山尾三省の「聖老人」であった。


 『自己への旅』

 「聖老人」とは、屋久島の縄文杉をさしている。
 三省さんはこの杉の木に「老聖人」を幻視し、「聖老人」という詩を書き上げた。
 老聖人としなかったのは、この縄文杉にえもいわれぬ抱擁感と親しみを感じたからであろうか…。

 山尾三省は吉本のいう「生を削り」尽くして、地に還っていった詩人であった。
 わたしのベッドの脇には背の低い横長の書棚があり、布団に入ってから、気の赴くままに本を取り出して読むのだが、読みかけの本を置いておく木の椅子の布張り座面には、もう3年間も『自己への旅』が置かれている。

 樹齢三千年ともいわれる生命を生きている老成樹は人智をこえた英知の象徴だといってよい。
 三省さんはみえないものが見えるタイプの人であり、そういうものがなくとも、見えないものを見ようとする意志を持った人ですから、聖なる老人を見た心的体験をオブセッションと形容することはできない。

 杉や樅あるいはカラマツなど、実のならない木に対しては、とたんに私は即物的なイメージしか持ち得なくなってくる。

 ところが、吉本は田村が描いた木が表象するものは、じつは田村自身の詩的営為の姿そのものなのだ、と喝破している。

 「わたしたちはこの詩人の詩作品が、様式としてみても、現在に近づけば近づくほど万華鏡のように多彩で自在になってゆく有様をみることができる。何となく言葉に刻みつけ得る実在は、ことごとく魔法の壺の中に投げ込んで、詩的溶融を遂げる方法を手に入れてしまっている。よくここまで歩み込んできたと思う。なぜかというと、もう他人の評価をどこかで当てにして詩を書いているといった次元を離脱して、ひたすら吸い上げた言葉を空にかえすことを反復している「木」のように、営々と詩を書いているこの詩人の姿が視えるからだ」

 屋久島の縄文杉のようではないのだけれども、鎌倉の姿を消しつつある谷戸のどこかに生えている老成木でもイメージすればよいのだろうか。
 詩人田村隆一は、自らが聖老人となってその生を空に返し尽くして歩み去っていった。

 吉本は最後に、このように結んでいる。

 「詩の解体を詩人の生理的な解体と同一化した詩人たち、いいかえれば詩の言葉を生理的な肉体の内部にまで食い込ませるように行使することで、詩の言葉の蕩尽が肉体の蕩尽と同じだと言える詩人たちは、もはやこの詩人の以後には存在しなくなった。
 この記念碑的な事実に向かって、わたしたちは眼にみえないたくさんの涙を注ぐのである」

 今の年齢になれば理解できることではあるけれども、私が「虹色の渚から」に出会ったのは20歳。
 そして、ただ対象を射貫くためにだけ研ぎ澄まされた「一本の疾走する矢」に惹かれて、すれ違い遠ざかってしまった失われた年月。

 どうしても、次の言葉が出てこないのだけれども、「書物の解体学」について書いているので、さらに読み進めていくことにして、この章を終わりたい。
 
 
 

2009年6月2日

『書物の解体学』から「田村隆一詩集」(3)

      「立棺」 (「四千の日と夜」所収)

      わたしの屍体に手を触れるな
      おまえたちの手は

      「死」に触れることができない
      わたしの屍体は
      群衆のなかにまじえて
      雨にうたせよ


 同じように自分の死さえも対象化して見せた中原中也の「ほらほら これが僕の骨」(「骨」)という、デカダンスの果ての諦観とは一線を画しているものがある。

 私はその違いを単に個人的な資質の違い程度にしか気にかけてはいなかったのだが、それほど単純ではないことを知ることになる。


 「こういう命令法がなぜ可能だったのか。それはこの詩人の内部で、経験と判断の眼に視えない共同体が信じられていて、いわばその共同体の観念のところで詩が成立しうることが前提にされていたからだ。」と。

      「幻を見る人」 (「四千の日と夜」所収)

      空は
      われわれの漂流物でいっぱいだ
      一羽の小鳥でさえ
      暗黒の巣にかえってゆくためには
      われわれのにがい心を通らねばならない

 「われわれ」と言ったとき、そこに戦争の「死」の体験を共通にし、(中略)   私事を切り離してなお存在しうる共感のメンバーがあることが、思い描かれているのだといっていい。


 なるほどね。田村は一億総玉砕という戦争期に味わった死の共感という共同幻想に信をおいて、その詩的出発を遂げたということなのだと。

 むろん私も、荒れ地派の鮎川信夫や中桐雅夫、黒田三郎、北村太郎らが「われわれ」と言うとき、戦争経験者というくくりを十分に判ってはいたけれども、田村がその共感に(肯定的に)信をおき、理想の共同体として描いた、という理解はなかった。

 この共感というのは、60年代の詩人たちでいえば、あの「五月のオブセッション」ということになるであろう。

 スケールダウンになって面はゆいのだけれど、私のような70年の世代にとっては、オブセッションというものも持ち得なかった。言葉だけの「連帯」という共感に取りすがり、通過儀式として70年安保闘争を文字通り通過しただけだった、と思う。

 私が上梓した『古典力学』という詩集は、その辺の社会的・心的状況を切り取ったものといってよい。
 古典力学では、エネルギーには運動エネルギーと位置エネルギーとがある。私は両者の反比例関係が、自分の悩みをよく表していることに気づいて、この詩を書いた。

 闘争の最前線(=運動の中心)で活動していると、運動エネルギー的には極大になるけれども、位置エネルギーはゼロに近くなる。つまり、全体を俯瞰する眼を失うことになる。

 私は状況がどうなっているのかを冷静に判断したいという知的願望が叶えられず、多くの仲間たちと共に大量逮捕という自滅的な道に陥ってしまった。

 状況を俯瞰するには岡目八目といわれるように、客観視できるだけの距離(=位置エネルギー)を確保しなければならない。
 そのためには行くべきところ(逮捕・勾留)まで行って、それを通過儀式の通行手形として、以後仲間たちとの連帯という幻想を捨て去った、ということだった。


 そしてまさにそのような状況の時に、田村の「虹色の渚から」に私は出会ったのだ。


 吉本は「四千の日と夜」の詩群について、「この理想として描いた共同体をただの幻影に過ぎないと思うようになったのは、どの時期からかよく確定できない。ただいちども私的な挫折感として表現されたことはなかった。」と断じている。


 私は「虹色の渚から」を読んで、明瞭に行く者と帰る者とのすれ違いを意識していた。
 もう一度、この詩を読み直していただきたいと思う。

 (Firefox というブラウザですと、IEビューアーというアドオンを組み込むことで、簡単に比較・参照スタイルにすることができます。このような画面となり、便利です)



 (参照ページをFirefox の別タブで呼び出し、右クリックメニューから「このページをIEで見る」を選択しますと、上のような画面になります。左はインターネット・エクスプローラの画面、右は原稿を書いているFirefox ですね。)

       この渚には
       人の足跡はもう消えてしまった

 この2行は、自分がこだわり続けてきた戦争体験が、もはや誰の記憶にもとどまっていないかに見える、幻影になってしまった、ということを表象しているように思う。

       烏と犬の足跡と
       口と肛門が永遠の環になっている
       あの軟体動物の夢の分泌物が


 鳥も犬も、田村にとってはあの共同体を暗喩するキーワードだと。しかし、今あるのは足跡だけなのだ。
 この一行は、田村が現実に歩いている稲村ヶ崎から材木座海岸の水辺の表現でもあり、彼の心象表現でもありということで、呼吸をして空気をはき出すようにメタファーをはき出す彼の資質を見る思いがする。

 そして、ナマコをイメージさせる「軟体動物の夢の分泌物」とは、何事もなかったかのごとく、過去から未来に向かって永遠に続く、のっぺりとした日常性を指しているようだ。

 自分が信をおいていたものは霧散していき、なにも変わらない日常が現実的な相貌をもって立ち現れてくる、ということになる。

       ときには驟雨もあった
       夜 黒い水平線を稲妻が走ることもあった

 私の「四千の日と夜」はそのような風景に満ちていた、ということ。過去形になっているのが、一つの終わりを暗示している。

       ぼくらの時代が感覚的な時代なら
       ぼくらは耳を手でふさいで聴かねばならぬ
       ぼくらは眼をとじて見なければならぬ


 私は長い間誤読をしたままだったようだけれど、この感覚的な時代=現代、だと思い込んでいた。
 今のような時代は、耳をふさいだり、目を閉じて、いわば心眼で事の本質を観なければいけないのだ、と。そう誤解すれば、これは挫折感の吐露なのだと、誤った解釈に近づきかねない。

 けれども、「ぼくはぼくらの時代の漂流物」という言葉が続いていることからすると、幻となりつつある過去の経験世界ということになる。


 とすれば、戦争期の死という共感の世界は、日常性のそれとは別の感受の仕方で心の裡に呼び出さなければいけない、というほどの意味になろうか。

 なるほど、そう解釈することにより、次のアイロニック(反語的)な表現も、俄然具体的な意味を帯びてくる。

       病める生というものはない
       生そのものが病んでいるのだ

 生というものは過剰なほど健康であり、過剰なほど健忘症なのだ。その過剰性こそ、不健全に違いないのだ、と。


 吉本は「自己告白をやっても私事を描写しても、注意深く共同の観念に面したところで行儀よく切り取られ、読者が出会うのは、その切断面になっている。

 そうですね、と相づちを打つしかない自分のていたらくに、腹立ちを覚えるほどだ。

 (続く)

2009年5月31日

『書物の解体学』から「田村隆一詩集」(2)

 前の行に続いて、
 「少年や青少年があふれ出る若い生命感と鋭敏な神経と巧みな修辞法と、いい資質とを、半ば無意識に奔騰させて、いわば生の過失の独白といった案配で創造された詩作品という性格はもっていない。

 相変わらず、シビアなことをさらりと言っていますけれど、世上「詩と呼ばれている作品」の99%は、この2行で切り捨てられてしまうわけです。
 
 たとえば、詩人らしい詩人という印象が強い中原中也を思い起こせば、吉本のこの定義に過不足なく収まると思う。

 「その代わりに知識も教養も生活の瞬間の感想も、癖になった慣用句も、思索のあとも、すべて詩という器の中に煮込まれている。

 吉本は膂力(りょりょく)という言葉を使いますが、その人がもっている力のすべてと言い換えてよい。この二つの詩集(田村隆一詩集、続田村隆一詩集)は、その膂力を尽くしているのだ、ということです。

 「はじめはこの詩人も、じぶんを修辞の天才と思い違いして出発したすべての詩人とおなじように、生を一本の修辞の矢にして疾走するスタイルで出発した。初期の作品を読むとそれがとてもよく判る。

 私が初めて田村隆一の詩に触れて衝撃を受けたのは1969年の早稲田祭だった。
 その一ヶ月ほど前に、七〇年安保騒動の現場で私は多くの仲間たちと共に逮捕され、23日間の勾留生活から解放されて、まもないころだった。

 程なく私は私家版の第二詩集『古典力学』を上梓して、仲間たちに送呈し、以後連帯という共同幻想を解消した。

 生来の単独行者となった私は、あてもなくキャンパス〔文学部ではなく、本部キャンパス〕をうろついていて、ふと落ちていた学園祭パンフを拾い上げ、パラパラとめくっていて、この一編の詩に衝撃を受けた。

 早稲田祭の喧噪のただ中、漂流者のように虚しくさまよっている心に強烈な稲妻が走る思いであった。

 当時、田村隆一という人がどのような人なのか、私は知らなかった。
 学園祭を運営している文連の誰かが書いたものだろう、という程度の認識だったので、とても自分には及ばない才能だと絶望するほど鮮烈な詩だった。

田村隆一 「虹色の渚から」…『新年の手紙』(1973)所収

 以後、私は書かざる詩人として、持て余している過剰な感受性を鈍磨して生きていくことを決意した。はっきり言ってしまえば、オヤジ化してしまうこと、だね。

 その後、進路を変更してロシア文学から現代詩に進み、戦後詩の大御所が勢揃いする荒地派の巨匠であった田村隆一の全詩集を読みふけり、いちだんと私はこの詩に自己投影を深くした。

 以下、私的な解釈を付記してみたい。

 この渚には
 もう人の足跡は消えてしまった

 当時鎌倉に在住していた詩人は、材木座海岸から稲村ヶ崎を散歩していたであろうか。
 夏の喧噪がすぎて、秋色を濃くしていく時期。

 ここに投影されている心象風景は、海軍士官として経験した戦争体験と、戦後それを自己表現として消化していくために苦闘した『四千の日と夜』があり、そんな騒乱と喧噪などなかったかのような今日的な現実が横たわっているのである。

 この心象風景は、私がキャンパスに舞い戻ってきた時の心象風景と微妙にオーバーラップしてくる。
 学園闘争が吹き荒れた中で上梓した私の第一詩集は、ハイネの「恋と革命」の向こうをはった気恥ずかしいものだったが、嵐が過ぎれば何もなかったかのような日常性の世界だけ。

 あれはいったい何だったのか?

 六〇年安保闘争世代の優れた表現者たち、吉増剛造、天沢退二郎、清水 昶、長田弘、鈴木史郎康、渡辺武信、菅谷規矩男らは、現代詩になだれ込んで、そうそうたる『頭脳の塔』〔吉増〕を現出した。
 渡辺は、「あれ」を五月のオブセッションと書いた。菅谷がいう詩的60年代とは「五月のオブセッションという生態系」から発生してきたものだ、といってよい。

 それは「幻」ではあったが、世の中が変わるかもしれないという幸福な幻だった。

 私たちアングリー・ヤングマン(怒れる若者)の七〇年には、もはやそのようなオブセッションすらなかった。
 自分たちの怒りと意志を行動で表すしかなかったが、熱狂するに足るものはなく、個々に思想的自立をはかるしかない困難な時代だったと思う。


 田村はこう続けている。

 永遠の環となっている、夢の分泌物

 何というメタファー〔隠喩〕なのだろう。
 この分泌物とは、あとの方で書いている「僕らの時代の漂流物」を指しているかと思う。

 時には驟雨もあった
 夜、暗い水平線を稲妻が走ることもあった

 これは、『四千の日と夜』を示唆している。


 私の投獄経験はそれ自体にさほどの意味はない。
 それは日常生活とオブセッションとがメビウスの輪のごとく表裏を見せながら、永遠の環となって堂々巡りを余儀なくさせられる私自身の『四千の日と夜』の入り口を指し示すための道標なのだと。


 病める生というものはない
 生そのものが病んでいるのだ

 これが田村の命諦であった。諦とはあきらめではなく、仏陀の「四諦」というように、智の至高点での認識というくらいの意味。悟りといえばわかりやすいだろう。

 「荒地」派の年少組であった吉本隆明は「智には往相と還相とがある」と『最後の親鸞』で書いているが…

 僕らの時代が感覚的な時代ならば
 僕らは耳を手でふさいで聴かねばならぬ
 目を閉じて見なければならぬ

 この一節は、写真をやっていた頃の私の命題「見えないものを写し撮る」という自負と通底するものがある。

 ただし、田村は『四千の日と夜』(1956)を通過して、

 わたしの屍体を地に寝かすな
 わたしの屍体は
 立棺のなかにおさめて
 直立させよ

 という『立棺』の決意、そして『言葉のない世界』での、

 おれは垂直的人間
 おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない

 という矜持の姿勢を貫き通した果ての言葉であること。

 つまり、還相の一節であって、青年前期の私が抱いていた「見えないものを写し撮る」という自負心は智の至高点に向かって這い上がっていこうとする往相にあり、私と田村隆一は『虹色の渚から』ですれ違った、ということになろうか。

 裸足の青年がひとり
 むこうから歩いてくる

 この青年とは私に他ならないという思いに突き上げられた。
 詩人と言葉を交わすことは出来るだろうが、共に歩むことは出来ない。

 彼は帰ってくる人であったし、私は向かって行く過程の者であるから。
 かつての詩人のように、私の屍体も地に寝かすなという単独行者となっていった。


 詩人なら多分「おお、やってるな」とひと言だろう。
 大江健三郎ふうに言えば、「ここにも永遠がある」と。
 私は、言葉のない世界で目礼するだけ。

 それで充分すぎるほどだ。


   「見えない木」(『言葉のない世界』1962年、所収)

 雪の上に足跡があった
 〔中略〕
 その足跡は老いたにれの木からおりて
 小径を横断し
 もみの林のなかに消えている
 瞬時のためらいも、不安も、気のきいた疑問符も そこには
 なかった

 〔中略〕

 ぼくの知っている飢餓は
 このような直線を描くことはけっしてなかった
 この足跡のような弾力的な、盲目的な、肯定的なリズムは
 ぼくの心にはなかった

 〔中略〕

 この羽跡のような肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
 ぼくの心にはなかった


 「ぼくの飢餓」と言わず「ぼくの知っている飢餓」と書いたところに、この詩の意味がある。
  

 私は自らの『四千の日と夜』を集大成しなければならない時を感じているのだけれども、一万の日と夜を沈黙し続けている間に、削るべき生をほとんど失っていることを知り愕然とするばかりだ。

 (続く)
 

2009年5月30日

吉本隆明「新書物の解体学」田村隆一詩集を読む

 私は一応音楽は好きな方ですけれど、日常生活で音楽を聴くということはほとんどないと言って良い。
 物書きの生活を送っていますので、音楽をかけると思考がストップしてしまうので、それを嫌う。
 また、集中してしまうと、音楽をかけていたとしても全く聞こえなくなります。

 食事の時など、TVを見ていて、それが音楽番組だったりすると、次第に感情が揺り動かされて気がついたらドップリ状態ということがしばしばあります。
 そうなると、もう仕事に戻れなくなり、繰り上げ晩酌となり、歌番に飽き足らなければYouTude などで気が済むまで聴いて夜更かしして、周囲が明るくなってあわてて寝床についたり。

 そういう人間なのに、道草ブログを書き連ねているうちに原稿用紙で1000枚もの量を重ねてしまいました。ところが、私が馴染んでいる曲というのは十指にも満たない。あとは、ざっと一回聴いたか、あるいはほとんど聴いていないに等しい曲が大多数、という有様です。

 それで、2、3回曲を聴いていきなり記事を書き出し、歌詞確認で1、2度聴き直してみる。
 きちんといろいろ調べることもなく、ほとんど直観的に中心的なテーマあるいはキーワードをつかんで、そこに光を当てるというような私流のやりかたで進めてしまいます。


 私の考えでは、データや資料を集めて、検証を重ねたところで「当たらずといえども遠からず」というレベルにしかならないな、という感じがするからですね。

 とくに心の問題にかかわる場合、的確に的を射抜くためには、物事の本質を一瞬で見抜く能力が必要なのだと思っています。

 そういう思いがありますので、資料もデータもなくても、表現されたものだけをみて、わたし的にはこう感じるよということをかきなぐってしまいますので、後で読み返して言葉足らずの部分を追記、追記。歌を聴いてみて、新たに気づいたことがあれば補筆・訂正とか、つぎはぎだらけの記事になっていく。

 ここにあるのは、自分の感覚を信じて書くだけ、という無頼派の矜恃だけですね。

 しかし、さすがにこれで良いのか?という不安を感じて、吉本の「新書物の解体学」を取り寄せて、彼の方法論をチェックしてみることにしました。

 というのは学生時代2歳年上の先輩と、評論の方法論について論争して、私が田村隆一の全著作を集めてその私生活まで知っているというレベルから田村の詩について語ったのに対して、彼は書かれたものそのものを私情を交えずに表現を分解するような方法論を良しとした。

 そして彼は「書物の解体学」はまさにそういう方法論で書かれたものではないか?と言ったのです。
 この本を私も持っていましたが、「積ん読」状態で、読んではいなかったので、何とも言えませんでした。

 この先輩は福岡の出身で、評論家としてやっていく道を断念して、田舎で古本屋のオヤジでもやるさといって、卒業後郷里に帰りましたが、私と正反対の理路整然とした話をする人格者でしたね。

 それで、インターネットの古本屋さんで、改めてこの本を購入して、田村隆一について書いた部分だけ拾い読みをしてみたのです。この30年間、このような疲れる本を読む精神的な余裕がありませんでしたので、読んでみたいという気になった先日いろいろと本をピックアップして、一括購入しました。

 私は引っ越しをするたびに、古書店さんに来て頂いて床が抜けそうなくらい増え続ける本を500冊単位で処分して、あとで必要になったらまた買うということをやっていますので、同じ本を何度も買うこともあります。

 それで、田村隆一『詩集』の評論ですね、僅か7ページの記述しかありませんが、改めて吉本の力量に圧倒されるばかりです。十数行読んでは考え込むという感じで、ほとんど私の頭は脳軟化症という精神レベルに堕しているなと痛切に実感するだけです。

 すこし引用しながら、進めていきます。

 「わが国でプロフェッショナルと呼べる詩人は、田村隆一・谷川俊太郎・吉増剛増の三人ということになる

 はっ?
 「ということになる」?

 「三人くらい」ではなく「三人」と断定しています。あの人は、この人は?という質問など無用だということです。読むに足る(中には読むに足らぬものもある)詩集はすべて目を通しているよ、という自負があるのでしょう。

 まあ、この三人は私も大好きな詩人たちですので、異論はありませんけど。

 「このプロフェッショナルというのは、詩を職業としているというのとも違うし、まさしく詩が専門だといえるほどとびぬけていい作品をうみだしているということとも、少しだけ違う。詩を書くこと、あるいは書かれた詩が確実に(生活とも生命とも違う。むしろ生涯というに近い)を削った行為になっているというほどの意味になる。ほかの詩人はいい詩人もだめな詩人も、そのいいことにおいて、まただめなことにおいてアマチュアだといっていい。

 出だしの七行を読んだだけで、わが仕事を顧みて恥ずかしくなり、先を読み進めることができなくなる。

 私は方法論を求めてこの書を買い求め、私がよく知っていると自負する田村隆一の項目を真っ先に読んだ。それが、一番わかりやすいだろうとショートカットの道を選んだ。

 ところが、吉本は田村の詩集を取り上げて、
 「ここで取り上げた二つの本の中の詩は、大人が鉛筆を削るように生を削ってやった仕事という力感を持っている

 と、指摘しているのです。 

 方法論なんかに逡巡する以前に、おまえが書いているものは生を削ってやり遂げている仕事なのか?と突きつけられてしまうわけです。

 少なくともこのページで書いていることは、そのような気持ちを込めて書いているのではあるけれども、それだけの力感が表れているかというと、それはない。
 プロフェッショナルな物書きというのは、何も書くことができなくともサラリーマン同様一定時間机に向かって書こうと、エネルギーを費やさなければいけない。

 実際のところ、ほとんどの時間は雑文を書いて垂れ流しているに等しいのだと我ながら思う。

 1999年頃から、私はインターネット上に表現活動を展開してきて、ブログを中心にインターネット・マーケティングという戦略的方法論を基本に据えて、商業的文章を書いてきたといってよい。

 そして、このブログで述べているように、伊藤雄人画伯とコラボレーションを始めるに当たって、表現感覚を取り戻すためのブログを別に作っているわけですが、そちらに時間をとられる結果となり、雑文書き殴り状態に陥っている。

 そのような、懺悔をしなければ次に読み進むことはできないと思う。たった七ページの文章なのに、この濃密さは何なのだ、と感じて、また考え込んでしまうのだった。

 明日は、続編を書けるよう、気を取り直したい。

2009年5月2日

一所懸命にならない思考原理

 ずいぶんと、間を空けてしまいました。

 他のことに熱中していまして。私の悪いクセ。

 ユージーン伊藤画伯と話をしていて、あれこれやってエネルギーを消耗させないように、というようなことを言われたのを思い出します。

 何事も大成するためにはただ一つのことに命を懸けて集中しなければいけないのでしょう。

 しかるに、物書きの私はあれこれ、あれこれいろいろなことをやって、蝶々のように花から花へ飛び回っています。

 これでいいのかと、考えることもしばしばあります。
 私の年齢であれば、腰を据えてライフワークに専念すべきなのでしょうね。


 物書きというのは、自分の思考を記述する営為に他ならないわけですが、その思考というのは連想の連続そのものである、と。

 自由な思考をするということは、連想にメンタルブロックを置かずノーリミットにする、ということです。

 その連想するものが広かったり、深かったりすれば、そこにミクロコスモスが形成されるのは不可避なことですね。

 これを樹木に例えますと、若木のうちは枝葉が少ないので、幹がハッキリと伸びていきます。けれども、老成木ともなると、枝も太く葉も茂り、どれが幹でどれが枝なのか区別が付かないほどになる。


 ただし樹木は数千年も生きるし、年齢と共に根幹が太くなっていきますが、人間の営為というのは果実しか顕在化せず、根幹というものは背後に隠されているという違いがありますね。


 思考というのは他者には見えないものですし、超高速で展開していますので記述できることは限られています。そして、活動時間も、活動期間も限りがある。

 そういうことを考慮すれば、そろそろ自分の人生の終わりに成し遂げておかねばならないことを見据えて、現在の私がやるべきことに一所懸命にならねばいけないかな、と痛感します。

 思考はノーリミットでかまわないけれども、書くものは厳選していかねばならないでしょうね。

2009年2月14日

18年ぶりの再会、Yujin Itoh との打ち合わせ

 前に紹介しました伊藤雄人画伯と、東京新橋で打ち合わせをしてきました。

 初めに画伯から頂いた小品の絵を紹介しておきます。
 可能な限りカラーバランスを原画に近づけていますが、それでも原画とは若干違いますことを、お断りしておきます。(画面をクリックして、拡大します)


 『記憶』 サイズF4 2005/12 

 このようなタイプの絵に慣れていない方はどう解釈したものか、とまどうかもしれません。
 解釈どころか、どう見たらいいのかも分からないかもしれません。

 しかし絵画の解体学で書きましたように、既成概念を破壊して、感覚否定のシュルレアリズム系に進んだマックスエルンスト、という流れかなとするならば、解釈しようとか理解しようという考えそのものを捨てた方がいいのですね。

 私は、伊藤さんの絵を見ますと、想像力が喚起されて楽しくなってくるのです。
 子どもの頃、昔の家は無垢の木材が内壁に貼られていて、この木目がものすごくイメージを喚起するのを連想します。

 とくにトイレの中で、目の前の壁の板の木目を見ていると、あたかも山水画のように思え、節穴などあると、それが仙人の住む洞窟だとか…桂林の風景画でも見ているような感覚に襲われました。

 それと同じですね。いろいろなイメージが湧いてきます。
 写真のようなリアリズムであれば、そのリアリズムにこちらの感覚が措定されてしまいますが、このような絵は様々なイメージを持つことが自由なわけです。

 措定というのは哲学の用語ですが、「意識が対象を措定し、措定すると同時に措定せられる」ということがいわれています。

 大胆にいってしまえば、リアリズムは鑑賞者の意識を措定する度合いが大きいために、解釈だとか理解だとか、という話になる。

 しかし、感覚拒否のシュルレアリスムなどは、鑑賞者のイメージ喚起が絵画に意味を付与する、ということになるでしょう。唯一の手がかりは、制作者のつけた題だけですが、それを念頭に自らの感覚と想像力を柔軟に解放して、連想ゲームを楽しめばよい。思考とは連想の連続だといいますから。

 あなたの想像力が豊かであればあるほど、このような絵はおもしろい。
 楽しむためには子どものような、豊かな想像力を取り戻さねばいけないのでしょうね。

 私と伊藤画伯のコラボレーションは、複数制作が可能な刷り物系技法(リトグラフや木版画など)との組み合わせになりますので、このような絵とは趣の異なったものになりますが、私の想像力がどのような言葉を紡ぎ出すのか、問われることになりますので、膂力のすべてを注ぎ込まないといけないことになります。

 たいへん重い課題だなと、武者震いするばかりですね。

2009年1月11日

常人が使わない脳の領域を使う、意味と重さ

 先日、プロの棋士はアマチュアの棋士が使わない脳の領域を使って、盤面の状態を頭の中でビデオのように再生することが出来る、というテレビを見ました。

 将棋ファンなら誰でも知っていますが、目隠し将棋、これはアマにはとてもまねできません
 実際に将棋盤と駒を使わずに、頭の中だけで将棋の対戦を間違うことなく行うことが出来てしまう。
 あるいは、終わった後の感想や控え室の棋士解説で、当たり前のように過去の手順を再現できる能力は、とうてい常人には真似できないものですね。

 多分、いろいろな分野で、そのように特異な頭の使い方をしている人の種類は多いのではないでしょうか。

 実は、先日別のブログで「頭の中で、ヴォイス・チェンジを行って、好きな歌手の声で他の歌手の歌を聴いてしまう、脳内カバーバージョン」の記事を書いてしまったのですが、相当イカレ過ぎているのではないかと、思われるような気がしていました。

 これは、実際に出来ることなのですけれども、そのような頭の特殊な使い方をしていない人には荒唐無稽な話として、受け止められるかもしれません。

 群盲、ゾウをなでる類の人を、多数派だということでスタンダードだと見なすつもりはありませんので、言い訳する必要などありませんが、訓練すれば出来る能力であることを示しておく必要はあるかなと思っていました。

 そんな時に、100手先を一瞬で読むプロ棋士は、常人であるアマチュアが使わない脳の領域を使っている、という研究結果が出たので、我が意を得たりと思ったわけです。

 私が初めて、そのような能力を身近に知ったのは、小学生の時です。
 同じクラスに珠算の段位を持つ上級者がいて、頭の中にそろばんを思い描き、それを操作して計算が出来てしまうという特技を見せつけられたことです。

 頭でソロバンを思い描き、右手でその珠(タマ)をはじくと、頭の中のソロバンがその通りに動いて映像に見えるというのです。

 暗算が全く苦手の私はすごいなと驚きましたが、うらやましいとは思いませんでした。算数は計算力だけではありませんので。

 そのようなイメージング能力とは違いますが、絶対音感を持っている友人にも驚かされました。彼は一度聴いた音楽を即座に音符に移すことが出来るのです。しかし、だからといって彼が作曲を得意にしていたかというと、そういうことはまた別な能力のようでした。

 余談ですが、私の娘が3歳の頃、ある劇団の公演を家族で観に行ったことがあります。ところが後日、娘がその劇で歌われていたテーマ曲を口ずさんでいるのを聴いて、妻が驚いて「ひょっとして、あの子天才かも!」と、興奮して話をするのです。

 私は笑ってしまいましたけど、実は私がその曲を記憶していて、自転車の前座席に娘を乗せて、走りながらその歌を教え込んだだけなのです。

 これは私の特技だったのですが、私が小学生の頃アメリカンポップが流行りまして、姉たち二人はその話題を話していて、あの歌どんなメロディーだったかという行き違いがあると、私のところに来てハミングしろと言うのです。

 私は人間ジュークボックスみたいに、即座にハミングして、姉たちは「そう、これよ!」と言って話の続きに興じる。わたしには、ジュークボックス使用料が1円も入らない、という末っ子の悲哀を感じていました。

 ヘレン・シャピロの「哀しき片思い」など、ビジュアル時代の今ではもてないと思いますが、ラジオだけの時代でしたから、ものすごく素敵な歌手だと幸せな想像に満たされていましたね。

 Helen Shapiro 『You don't know.』(邦訳:哀しき片思い)



 この曲のコメント欄にあるように、頭にこびりついて離れない素晴らしいメロディーと歌です。

「Haunting melody with that magnificent voice of Helen Shapiro - can't get better. I too never tire of listening to this. 」
 まさに、そういうことです。

 聞き終えましたら、画面下の他の動画リストにご注目!右の方の動画で、マウスポインタを持ってくると「The Beatles」というのが出てきます。ヘレンとリンゴ・スターが映る画面です。
 実は、ビートルズはヘレンシャピロの前座歌手として、ヘレン・シャピロに見いだされて、後の世界のビートルズになったという経緯があります。画面では、最初にジョンレノンが紹介され、次がリンゴ・スター、最後はジョージ・ハリスン。ポールはまだ、メンバーに入っていませんでした。

 ヘレン・シャピロというのはそれほどのスターだったのです。

 私は海外ポップスを理解するために、お正月のお年玉をはたいて、家の近くの英語学校に入学して、歌詞を正確に歌えるようにしました。
 親にも内緒、小学5年生でした。

 私は英語は英語のまま理解し、英語で考えるということを小学生の頃からやっていましたので、ビートルズが来日したときも、すんなりととけ込めました。

 人の脳というのは、99%は使われていないそうですから、後の99%は能力の可能性の宝庫なのではないかと思います。ですから、人の能力というのは、量ではかれば差がないはずです。

 ただ、その能力の使い方によって、個性的ですので、学校の成績や仕事の能力だけでは分からない能力があって、人それぞれなのですね。

 むしろ、言語能力だとか、理数系の能力だとかない人でないと、芸術的な才能は開花しない。社会常識とか、理性だとかあると、それが自由な発想を阻害するからです。

 そういう意味で言うと、世間ずれして、通俗的常識的な発想しかできない人間というのは、私から言わせると人造人間として育てられたかわいそうな人だなと…。
 それが、社会のマジョリテイーを形成して個性的ではみ出す人間を、疎外するのが、日本という国です。


 そういう右へならい人間の中で、偏差値秀才だけが優秀な人間だとして、東大卒の官僚が支配構造を形成している国の規範など本当にくそくらえの世界でしかない。

 話が、だいぶそれてしまいました。人の能力は千差万別です。
 みんな、だれでも、それを自覚して、伸ばせばいいと、私は思います。

 勤めている仕事で、例え無能だと思われても、あなたにはあなたにしかない能力があり、それは掛け買いのないものであるはずです。
 人生、自分に失望するものなんて、何もあるはずがない。

 ただ、あなたとその場のミスマッチであるに過ぎません。
 これは、何らかのミスマッチであると。
 たとえ天才棋士であろうと、コンビニのレジをやらされれば、とんでもない無能な役立たずかもしれないでしょう?

 誰のものでもない、あなただけのあなたの人生。
 自分の人生を生きることを見いだしてみては?

 

2009年1月9日

絵画の解体学 抽象画と具象画の間で

 パソコンが苦手の伊藤画伯から、メールがきました。本来コメント欄に表示するところですが、Google アカウントの取得とか、いろいろあって、私がこの中でご紹介します。

 私でも、伊藤さんの絵と格闘するとなると、かなり重い課題でブログの更新が出来なくなるほどです。

 それというのも、私自身ここ20年以上こころに鎧甲(よろいかぶと)をまとい、戦闘モードで生きてきたために、たとえウソ発見器にかけても何も検出されないほど固まっていたからです。

 そういう状態の私が柔軟な気持ちを取り戻し、繊細な言葉感覚を取り戻すためには30年前の頃を思い出す必要があったのですね。


 私は伊藤さんの絵のディテールが具象画のように描かれていることに注目して、細部を細かく描写するブリューゲルの絵を連想しました。それで、ブリューゲルが抽象画を描いたなら、このような絵を描くのではないかな?と寸評しました。

 伊藤さんは、
 「タイトルは「重い旅、または想い旅」「花」「沈黙」等考えましたが、まだ煮詰まっていません。ボキャブラリイ貧困の私には、難しいものです。

 ところで貴君の提案は、私が一番傾倒しているマックス・エルンストのコラージュ集や、フロッタージュ、油絵、のタイトルのごとく一筋縄ではいかない難解なものと同じで、まさに貴君の言うところの部分と重なるものがあるとおもいます。

 エルンストのまねをするわけではありませんが、参考になると思います。ただエルンストの表現にはエロスや生活感(幻想絵画ということもありそれは無理か)がまったく感じず、そこが私とのずれがあるように思います。」

 という返事を頂きました。

 私は学生の時に現代詩を専攻していて、ダダとかシュルレアリズムに馴染んでいましたので、絵画でもバン・ドンゲンなどのフォービズム、やマグリットなどのシュルレアリスムも好きでした。

 フォービズム系画家…アンリ・マティス、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、ラウル・デュフィ、ジョルジュ・ルオー

 シュルレアリスム…ルネ・マグリット、ポール・デルヴォー、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト

 いずれの画家たちも、ダダから出発して、感覚系のフォービズムに行き着くか、感覚否定のシュルレアリスムに落ち着いたかしているわけです。ダダというのは既成概念や権威主義的なもの、固定観念などを徹底的に否定あるいは破壊する思想です。

 私がダダに共感したのは、後から思うと個性を否定して平均化を行う学校教育に対する嫌悪感だったと思う。小学校の図画工作の時間に写生をすることがあって、垣根のドウダンツツジが色鮮やかに紅葉しているのに感動した私は、様々な赤色を調合して、それを描いたのです。

 が、担任の女教師が、赤色が派手すぎて下品だ、と評したのです。私は絵が好きで、描いた絵が学校代表としてアメリカの教育機関に送られたこともありましたが、この担任のひと言で絵を描くことがイヤになりました。

 ですから、芸大を出て新進気鋭の佐伯祐三がフランスに渡り、フォービズムの大御所だったモーリス・ド・ブラマンクに「この、アカデミズム!」と一喝されたということを知って、本当に嬉しくなったものです。

 実は私も言いたかった、教師に。「この俗物女!」と。私は、幼稚園の時にも、保母の先生を、杓子定規の馬鹿女と軽蔑して、ことあるごとに反抗していましたね。絶対に、言うことをきかない、テコでも動かない強情な子ども。
 
 それでと、マックス・エルンストもずいぶん見ましたが、さほど強い印象を持っていませんでした。他のシュルレアリストの印象が強くて、エルンストは目立たなかったのだろうと思います。

 それはさておき、「エルンストにはエロスや生活感がない」ところが自分の絵との違い、という伊藤さんの言葉は重要な示唆を含んでいるなと思います。

 言葉が矛盾しているかもしれませんが、私はストイックな無頼派ですので、相当に常軌を逸した考えを持っていますが、エロスに関しては突然「君子危うきに近寄らず」になってしまいます。無頼派なのに君子とは、という感じですけれど…


 伊藤さんの絵を見て、エロスとかそういうものは感じられたのですが、それを指摘することはありませんでした。情動という言葉だけで、それを包含しているという言語感覚をもっていますので。

 エロスに関する自主規制を解いて、改めて絵を見直せば、もっと肉薄できるはずだと思います。
 この、コラボレーション、案外エキサイティングになりそうな感じがしてきました。

2008年11月22日

絵画とのジュガルバンディー

 私が敬愛する伊藤雄人さんという画家がいます。

 この十数年、美術展の招待状をいただき、不義理をすることも多かったのですが、出かけた時には美術館の休憩場で印象をメモし、再度確認してはメモを書き足し、送らせて頂いておりました。

 その伊藤画伯から、画集を出そうと思うのでジュガルバンディーをやりませんかという申し出を受けました。ジュガルバンディーとはインド音楽の掛け合いのことです。

 伊藤さんはこの言葉を使ったわけでなく、詩画集にしないかというお誘いでした。
 30年前に、初めて会ったのはインド音楽コンサートの打ち上げパーティーでしたので、この言葉が似つかわしいなと思います。


 私が初めて伊藤さんの絵を見たのは、江ノ島に近い鵠沼海岸の自宅でした。
 彼はアトリエを、制作中のキャンバスを、決して他者(ひと)には見せない。

 懇願して見せて頂いたのは、夕暮れの情景を描いた、叙情性に満ちた風景画です。
 どこか懐かしい風情は「三丁目の夕日」に通じるものがあるが、必要以上に夕闇が勝っている色使いに、彼の鬱然とした想いを感じないわけにはいきませんでした。


 少しだけ素朴で、落ち着きのある風景にペーソスを感じる薄暗い色調。

 私は、伊藤さんのリリシズムに触れたようなとまどいを感じましたが、やがて染み入るように魅了されていくのを覚えたのです。

「この絵は玄関や居間に飾る絵ではないな、どこがふさわしいのだろう、
 たぶん、屋根裏部屋の書斎みたいな、物思いにふける場所だろうか?」

 そんな気がして、ずっと印象に残っていました。

 しばらくして、銀座の画廊で個展があり、そこで初めてまとまったものを見せて頂くことができたのです。
 全体に「夕暮れの色調」が通奏低音(インド音楽のドローン)のように流れています。それは香月泰男のシベリア画集のような絶望を通り越した漆黒ではなく、火葬した骨のような佐伯祐三の灰白色でもない。


 先に述べたように、鬱然としているけれどもどこか残照のぬくもりがある。



 その後、私はベナレスのグルの元に戻ることを家の事情で断念し、ビジネスマンとして社会復帰して、千葉に家庭を持ち、交流は間遠になっていきました。
 その間、彼は中南米の旅に出かけており、エルサルバドルで妻となる人に出会っている。


 10年以上の歳月が流れ、ある年の秋、上野の東京都美術館で開かれる展覧会の招待状が彼から送られてきました。

 私は画家伊藤雄人の現在がどのようなものであるのか興味を持ち、喜んで出かけました。

 そこで、10数年ぶりに見た彼の絵は…

 過去の絵とは全く異なった、何を描いているのか分からない抽象画でした。あたかもガン細胞を電子顕微鏡でのぞいたような世界。

 少し離れてみると、無数のセル(細胞)が何かしらのダイナミズムを構成しているように見える。近づいてみると、一つ一つが丹念に描かれており、ものすごい執念のような波動を感じる。

 かろうじて、色使いは「伊藤風」の面影を残している、という変貌ぶりでした。


 休憩コーナーの長いすに腰をかけて、ぼんやりと外を眺めながら私は、自分の頭の中を整理しつづけました。


 どれくらい時間が過ぎたのか、再び私は彼の絵の前にとって返し、無心になってその絵を眺めました。公募展でしたが、優秀作に選ばれて、良い場所に堂々の展示となっている。

 多くの審査委員が高く評価したようでしたが、私は自分の鑑賞眼に先入観を与えないためにそれらの評を読まないようにしました。


 そして思ったのは、この絵を抽象画だとするのは見誤りになるかもしれない、ということです。


 抽象というのは、描く対象の造形的要素を分解して特定の要素をメインに再構築する営為だと言えると思います。たとえば、キュービズムならば、対象を立方体という要素中心にして再構築するわけです。


 しかし、この絵はディテールが丹念に描かれており、抽象ではなく具象画の本質的な部分を保持しています。

 確かに具象画なのだ、と。


 しかし、何を描いているのか一見わからない。まあ、じっくり見ても分からないのですが。

 私は直感的に「心の世界を描いているのだろうな」と感じました。より適切な言葉をさがすとすれば「情動」ではないか。
 それは、ある想い、あるいは捉(とら)われている潜在意識によって突き動かされている感情のもつエネルギー。その強さ、躍動、叫びあるいは沈黙、それ自体を黙示している。


 もとより、形のないものを描いているのであろうから、その表現している実体はどのようなことなのか分かりようがない。

 そのようなアプローチ、あるいは理解の仕方ではなく、その絵が持つ波動のようなものをどう感受するか、が問われることになるだろうなと思いました。


 数日間、私はその絵を反芻してから、感想を書き上げて郵送しました。
 伊藤さんは、相変わらず沈黙したままでしたが、このスタイルでその後今日に至るまでやりとりを続けていたわけです。


 手紙には書かなかったのですが、初期のリリックなスタイルを捨てて今日の伊藤ワールドを突き進むことに、私はある種の危惧を抱きました。

 彼は生活者というタイプの人間ではなく、生きていくことに不器用な人であり、社会からスピンアウトしながらしかし社会的に「何者か」であろうとする意志を失わない人だと思います。

 その彼が唯一自分を取り戻せる幸福な場が、あの「夕日の情景」の世界ではなかったのか?
 この一連の絵を彼は命としていたはず。
 その安らぎを彼はやっと手に入れたのではないか…


 それを捨てて、不定形のオブジェを描く世界に一歩踏み出してしまい、不幸にも(とあえて言う)それが高く評価されてしまった。

 これから先、どこに行くのか?


「大変だなぁ、もう戻る道はないぞ…」と思いました。

 あの幸福と安らぎは二度と戻ってこない、そのように生きていかねばならない。

 私の脳裏に浮かんだのは、吉増剛増の詩集『頭脳の塔』の出だしのフレーズでした。


  朝霧たちこめ、狭霧たつ、
  地獄の扉に向かう


 そう、画家伊藤雄人は地獄の扉を開けつつあるな、と…

 五里霧中どころか千里霧中を歩んでいかねばならなくなる。
 私は、ほとんど目眩を覚える気持ちで、毎年秋の展覧会で、

 「彼の現在」を見据え続けることを私のライフイベントとして記すことにした。

 (以下続く)

 

 

2008年11月10日

記憶の周辺を埋めていく思いだし方

 年をとってくると、ノドまで出かかっているのに名前が出てこない記憶が増えてきますね。

 最近、マインドマップの本を読んでいて、記憶を呼び出す方法が載っていましたので、早速試してみたところ、効果がありそうなのでご紹介したいと思います。

 まず、マインドマップの図を見てください。図は手書きで良いのですが、私はマインドマネージャーというソフトの試用版を使ってみました。


 とっさに思い出せない例として、「ロミオとジュリエット」の映画音楽がありました。

 そこで、中心のテーマを空白にしたまま、思い出す順にトピックというラベルを配置していきます。

 (1) 最初に頭に浮かぶのは映画のヒロインを演じた美少女Olivia Hussey です。女性の名前だけは決して忘れないもので ε- (^、^; ふぅー

 (1-2) 布施明と一度結婚したよな~、というのを一応つけたりして、

 (2) 映画という関連語を加えます。ソフトでは1時の位置から時計回りに自動的にトピックが挿入されます。

 (2-2 ) 最終的に探したいのは映画音楽です関連語を並べてみました。

 (3)文学作品の映画化だったよなと、トピックを追加

 (4) あ、そうだシェイクスピア作品だった、とここまで並べていて、Romeo & Juliet だと思い出したわけです。

 単純に名前がすぐに出てこなかった例ですので、シンプルですが、シェイクスピアが分かれば、検索して作品名から探し出すことも可能ですね。

 これを、ただ単に頭の中で「なんだったっけ」とやっていると、いろいろな記憶情報が入り乱れて、オリビアハッセイの顔が浮かんだり消えたりして、のど元まで出かかっているのにということになります。

 最後にYouTube から一番好みの動画をリンクして、これで一つの記憶整理ができたわけです。


 この方法を、使って自分の過去の記憶を再構築するということも、やってみるとおもしろいですね。

 ちなみに映画の音楽はこちらです。




 私の好みでは、バイオリンの細やかな表現が際だっているこちらの方が良いと思います。


 映画の中の歌も印象的です。


 Olivia Hussey の動画を見ていて、記憶の片隅に追いやっていた思い出したくない記憶までよみがえってしまいました。この場面のオリビアそっくりの学生時代の彼女。

 

 Olivia Hussey にあまりにも似ていた(目はブルーではありませんが)から惹かれたのかもしれません。Juliet は悲恋で終わらないと…。


 

2008年10月29日

シンクロニシティなのだろうか?

 このところ、いろいろと過去の記憶を思い出しているうちに、その情報が次々と現れてくるということが起こっています。

 ひっそりと書き続けている「人間関係調整力」というブログで何か書くと、その関連情報がすぐ出てきたりするのですね。

(1)
 息子の男女交際問題で、「のっぴきならないことが目の前に出現してどうにも対処できない状況にあった」ということを書いた後に、自分を対象化していく視点の例として中原中也の詩を引用しました。

 数日後、テレビを見ていたらNHKで
『知るを楽しむ・私のこだわり人物伝』…「中原中也・くやしき人・恋人という他者」

 というのが放映されました。同棲していた恋人の長谷川泰子が、中原の親友である小林秀雄の元に走る時、彼女は中原の背中に向かって「私、小林さんの元に行きます」と告げる。

 中原中也は、その時、自分ではどうにも出来ない事態に遭遇して、黙って背を向けて送り出した、という。「その時から私は、悔しき人になった」と中原は述懐している。


 実は私も若い時に、このような三角関係を経験しています。私は小林秀雄の立場だったのですが、相手から女性を奪ったわけではなく、女性が相手との関係を清算して私の元へ走った。
 

 その後の成り行きも小林秀雄の場合と同じようになってしまうのですが、私はずっとその事を過去の痛手として抱いていました。

 それから25年後、水道橋近くの交差点で、私と彼は偶然に出会ったのです。

 一瞬にして学生時代に舞い戻りました。彼も同じだったかもしれません。
「どこかで、一杯やらないか?」と誘ってみましたが、彼はそれを断り立ち去って行きました。中也のように「悔しき人」であり続けたのだろうか?という思いがよぎりました。


(2) 由紀さおり『手紙』…作詞:なかにし礼

「自立している女性の別れを描いている。それが作詞者の理想像なのだ」と別のブログで述べたのですが、その数日後やはりNHKの「スタジオパークからこんにちは」という昼の番組で、なかにし礼さんが登場しました。

 視聴者の質問で「どのような女性が好みですか」という問いに、彼は「自立した女性が好きですね」と答えていましたね。



 
 

2008年10月18日

G.G.佐藤のマインドセット、北京オリンピック

 なにやら三題話のようなタイトルですが、ここで取り上げたいのはマインドセットの問題です。

 わかりやすい例として、西武ライオンズのG.G.佐藤外野手のお話をしたいと思います。というのは、WBCの監督問題が喧々諤々の様相を呈していまして、星野ジャパン惨敗の戦犯として何度も挙げられているからですね。

 G.G.佐藤選手は毎年、春先に調子が良くて、ペナントレースが進むにつれて尻切れトンボで終わる結果を繰り返しています。そして、実力がついてくるに従い好調持続期間が長くなって、今年はオールスター前くらいまで調子が良かった。


 あるとき、ヒーロー・インタビューで、インタビューアーが「三冠王が射程に入っていますね」という質問をしたのですが…

 「どうも、今の位置(首位打者、打点王)は落ち着きませんので、もっと下のほうに(騒がれずに)落ちたいです」という受け答えをしたのです。

 このようなインタビューは当人には迷惑な話かもしれません。相撲でも、中盤くらいで星の差をリードしている力士に、「優勝の最有力候補ですね」などとインタビューして、力士に無用なプレッシャーをかけたりしています。

「優勝は気にせず、一番一番、精一杯やるだけです」と答える力士は、実はプレッシャーをはねのけようと努めて意識しないようにしているというのに…。


 G.G.佐藤選手のインタビューの答えを聞いていて、「ああ、ダメだな…」と思わずにはいられませんでした。

 すでにプレッシャーに負けています。


 人は誰でもセルフイメージを持っているわけですが、それが低い。
 謙虚な人柄なので、低いというのはダメということにはなりません。

 しかし、セルフイメージが低いと何が問題になるかというと、そこに安住してしまう、という危険性があるからです。セルフイメージというのは、自分が落ち着くレベル(コンフォータブル・ゾーン)にあるというのがいわゆる反省以前的な自己認識、つまり一般的な自意識のあり方なのです。


 しかし、何事においてもより上を目指すためには、自分で自分の限界を設定したりしないで、もっともっと高い目標とセルフイメージを持たねばいけないのです。「俺の実力はこんなものではない、もっともっと上の結果を出せるはずだ」とスーパーサイア人のように燃えないと。

 神田正典さんが、成功するためにはある時期傲慢にならなければいけない、という意味の事を言っていましたが、特に勝負の世界で生きる人間には絶対必要なことです。


 G.G.佐藤選手は人一倍練習熱心で、アメリカで学んだトレーニングを続けて、体を鍛え上げ、技術を向上させてきたわけですが、実力をつけていく事で自信をつけて、自己イメージを少しずつ挙げていくという生真面目なやり方をとっているのでしょうね。

 けれども、思っていた以上に良い結果が出続けて、怖くなってしまったのでしょう。それで、「早く下のほうに落ちたい」というようなことを言った。

 ところが、潜在意識は良い悪いの判断をしないで、良い結果を出さない方に彼を導いてしまったわけです。セルフイメージというのは相当強力に人の心を左右します。その働きを「メンタル・ブロック」といいますが、自分で作った自分の壁=限界なのです。


 何のために必死で努力しているのかと言えば、現在の自分に満足せずにレベルアップしたいからのはずですが、メンタルな面で自分自身を引きずり下ろすことをやっている、ということなのですね。


 案の定、それ以降のG.G.佐藤選手は下降線をたどり、打率3割まで落ちていきました。


 それでも、生真面目で努力家の彼は、埼玉での試合が終わった後も、自宅に戻らずに横浜のスポーツジムまで、毎日通って、納得してから帰宅する、というのを聞きまして、なるほどと思いました。

 なぜ、彼の成績が尻切れトンボになるのかわかる気がしました。頑張りすぎて疲れていってしまうのでしょう。年間144試合もやりますと、どの選手でも体はボロボロという感じになります。
 それなのに、試合後に、自宅を素通りして横浜までウエイトトレーニングに行っていたら、最後までもちません。無茶をしています。

 巨人の伊原ヘッドコーチが、今年トップバッターとして開花した鈴木選手を指導したときに、練習のし過ぎで故障をしている、練習をやめろ、と指摘したということが大きな成功要因だったそうです。



 今年の七夕祭りのとき、西武ライオンズの選手はそれぞれ五色の短冊に願い事を書きました。ほとんどの選手はもっと打率を上げたいとか盗塁王をとるぞ、みたいな妥当なお願いでしたが、G.G.佐藤選手は「もっと筋肉をつけたい」と書いて、周囲から「これ以上筋肉をつけて、どうすんの!」と言われたそうです。

 2005年だったか、試合中にライトフライを追いかけて、セカンドの片岡選手とG.G.が激突したとき、片岡選手は負傷してその後の出場を棒に振りました。片岡選手は「まるで重戦車にぶつかったようだった!」と言っていましたね。


 それほどの筋肉マンなのになぜ、G.G.佐藤選手は自滅するほどウエイト・トレーニングをするのか?

 それは、彼の精神的な弱さからくるのではないかと思います。
 成績が落ちれば落ちるほど落ち込むタイプなので、トレーニングをして自信を取り戻したい。

 本当ならば、バッティング投手にお願いして徹底的に打ち込むべきなのに、自分のためにだけ毎日特打をやることを遠慮しているのではないでしょうか。

 だから、内向的で生真面目な彼は自分だけでできるスポーツジムでのトレーニングに精を出す。

 そして、筋トレ依存症になっているのでしょうね。

 たとえば、医者の出す薬を飲まないと気持から病状が悪化する薬依存症とか、健康食品を愛用しているうちに、それを摂取しないと病気になってしまうかのような気持ちになってしまうサプリ依存症などと同じです。

 北京から帰ってきたG.G.佐藤選手は、「北京では、満足に筋トレもできなかった…」と本音を漏らしました。

 いくら筋骨隆々でも、バットにボールが当たらなければホームランどころかヒットにもならないよ、と言いたいところです。筋トレはやりすぎると筋肉が硬くなりますし、筋肉がつきすぎて各関節の稼動範囲が制限され、悪影響を与える場合があります。

 インナーマッスルを鍛えるときに、余計な筋肉をつけてしまうというミスを犯したのが、清原選手であることは有名です。イチローはその辺の事を良く分かっていて、ストレッチングで体の稼動範囲を広げ、運動能力を大幅にアップしました。筋肉マンには、かえってレーザービームは投げられないと思います。


 さて、セ・パ交流戦が終わって、いよいよ北京オリンピックが近づいてきた。

 G.G.の打撃成績は崖を転がり落ちるように急降下中、絶不調でした。とても、急浮上する感じではなかったですね。

 そして、オリンピック合宿以降、(精神的)頼みの筋トレが思うようにできない不安感。

 さらに悪い事は、オリンピックチームでの守備位置は、普段やった事のないレフトのポジション。

 絶不調+筋トレ禁断症+不慣れなレフト守備

 この不安3点セットの中で、彼は最初の出場台湾戦でノーヒット、次のオランダ戦ではホームランを放つが、勝って当たり前の試合で自信回復には程遠い。


 そんな中で最初のエラーを犯します。

 多くの方が、ブログなどで守備の悪いG.G.佐藤など使うなという事を書いていますが、西武ライオンズの外野手12人のうちで、彼は3本指にはいる守備力の持ち主だと思います。
 格別守備が良いという印象はありませんが、今年100試合くらい見た中で、彼がエラーをしたのを見た事はありません。堅実な守備だなという印象を持っています。

 3重苦の中で、試合を左右するようなエラーをしたG.G.はレフト守備恐怖症に陥ったと思います。生真面目で落ち込みやすい性格、不安の3重奏の中で、彼はパニックに近い金縛り状態だったはずです。

 そして普段経験しないオリンピックという精神的重圧と大観衆。このような精神状態では、たとえば自分の名前すら手が震えて書けないという状態にあったのではないかと思います。


 彼に必要なのは、
 ・筋トレをやめてストレッチをすること。
 ・バッティングの技術に磨きをかけること。
 ・修羅場をくぐり抜けて、百戦錬磨のふてぶてしさを身につける事

 …なのではないかと思います。

 そして、それ以上に「俺の実力はこんなものではない!」と本気で言えるマインドセットですね。

 戦うときは、鎧兜を身に着けるだけでなく、心にも鎧兜をつけなければいけないのかもしれません。
 気は優しくて、力持ちなだけでは、戦えないのですよ。

 

内発的報酬の人、益川教授

 今年度のノーベル物理学賞を受賞された益川敏英・京都産業大教授のお話は、このブログのテーマにかなっているものだなと、興味を持って聞かせていただきました。

 益川先生の報道陣に対する最初のリアクションが「私は外的報酬で研究をしてきたわけではない。内的報酬でやってきたことの結果がノーベル賞だっただけ」ということをおっしゃりたかったのだと思います。

 「自分は決してハードワーカーではなく、その反対のソフトワーカーだ」というのも、まさにその通りではないでしょうか?

 外発的報酬の仕事というのは、最善の手順を選び、データを集めて、最も確率の高い方法を選択して結果を出していくという「力技」のやり方です。短時間で成果を得ようとすれば、一定程度の成果を出せるものです。

 内発的報酬の仕事というのは、自分の興味があることに自分のエネルギーのすべてを集中して、最後は脳が持っている自動整理機能(潜在意識が一日24時間、年365日スイッチをオンにしている)によってパッとひらめく、という事が多いわけです。これは、時間無制限一本勝負ですね。


 私も以前生命科学研究に従事していたころ、赤血球母細胞がどこで赤血球に分化していくのか、という事を研究していたときに、赤血球母細胞に蛍光マーカーをつけて追跡するイメージがふと湧いてきました。真っ暗な中で、電子顕微鏡をのぞいているような画面に目的の細胞が青緑色の蛍光を発しているのがはっきりとわかる、そんな映像が頭に浮かんだのです。

 その話を上司の先生に話したところ、今回ノーベル化学賞を受賞された下村脩・ボストン大名誉教授が発見された緑色蛍光たんぱく質(GFP)の話を聞かされた事を思い出しました。

 ただ、当時は細胞にマーキングする方法が確立されておらず、90年代になってアメリカでその方法が開発されたわけです。私は様々な事情があって生命科学研究の世界から離れてしまっていたので、下村先生の発見の恩恵を利用させていただくことはできませんでしたね。

 しかし、今回の下村脩先生のノーベル賞受賞は、他人事のように思えないほど喜びを感じます。


 

2008年9月17日

心のエネルギー「気」

 前回久しぶりに記事を書いたので、過去記事を読み返していて、

 「人の思い・想念というものはエネルギーとして伝わり、作用する、と私は考えています。

 次回は、そのことについて触れてみます。」

 と書いたまま、忘れていることを発見しました。


 私がこのことをはっきりと経験したのは、母が医療事故で亡くなった時でした。

 それはある夏の日、土曜日の深夜でした。

 その日の朝、いつものように一人でバスに乗ってかかりつけの病院に行った母が、何らかの医療事故で危篤に陥ったという連絡を実家の姉から受けたのでした。


 もはや電車やバスの便がない時間です。そして、当時石油ショックのまっただ中で、ガソリンスタンドは夜間閉店という状況の中、次姉夫婦の車で東名高速の横浜インターから、東北自動車道の起点(当時)である岩槻ICを目指しました。

 姉夫婦は翌日の仕事があり、大槻でUターンしないと、ガソリンがもたないという状態でした。
 私はインターで降りて、郷里の宇都宮方面に行く車をヒッチハイクしました。そのワゴン車は栃木県の那珂川に鮎釣りに行くグループで、ありがたいことに宇都宮に立ち寄っていただけることに…

 那珂川の鮎釣りは、当然の事ながら私も何度か行っており、話題に入り込めるはずですが、そんな心境ではありません。


 上の空で、話に相づちを打ちながら、時間を気にしていると、突然前方からザーッという波動のようなものがやってくるのを感じたのです。

 心の中で、アッと小さく叫びました。

 「おかあさん!来たのかい…、今、向かっていたところなんだけど、間に合わなくて、ごめん!」

 瞬間、温かい気持ちに包まれる思いを感じました。

 「おかあさんの気持ちは、確かに受け取ったからね!」

 私は心の中で、叫びました。ふと、時計を見ると午前2時40分でした。

 そして、急に悲しみがあふれ、目を閉じて、同乗者の人たちとの会話から外れたのでした。


 車の運転者の方は親切にも、病院まで乗せていってくれると申し出てくれました。ありがたく感謝しましたが、母との別れを済ませた後でしたので、先を焦る気持ちはなくなっていました。不思議なほど、気持ちが平静になっていました。


 小一時間ほどして、ようやく病院にたどり着きました。
 廊下のベンチに腰掛けていた親父は、私を見ると、
 「ババアが亡くなった」と言って涙を見せました。

 私にはすでに了解済みでしたので、驚きもあわてもしません。
 ただ悲しさだけが、静かにこみ上げてくるだけ。
 死亡時刻を確認すると、病院の時計で2時40分ということでした。


 私は母を毛布で包み、抱き上げて待機していたハイヤーで実家に戻りました。驚くほど軽く感じました。

 部屋に母の布団を敷いて寝かせた後、私も布団を並べ、冷たくなったその手を握りながらひと眠りしました。

 私は霊を見るなどというタイプの人間ではありませんので、母の霊が枕元に立ったということはありません。

 その後、何かを感じた時に時間をチェックしておくようになり、後から離れた場所でのことが確かに伝わり、時間的に一致することが分かりました。


 ただし、このようなことが常態的になっているわけではありません。ある条件が必要なのです。
 そのことについては、改めて述べたいと思います。



 

2008年9月16日

気持ちを千里移動させるということ

 ネットをベースにして仕事をしたり、技術的な記事を書いたりしていると、じっくりと心を鎮めてこのページの記事を書くことが難しいです。

 かって吉本隆明は「魂を日々千里移行させる」と書いて、生活者と表現者との精神的な径庭を表現したことがあります。

 私は「人生は銀河系の原理と同様に大きな循環を描いている」という考えをしていますので、自然に一巡してくるのに任せています。要するに、人生のハンドルを手放して、天に任せているわけです。

 このところ、気持ちが魚釣りモードに入って、釣りのブログにばかり記事を書いていました。
 けれども、過去の経験から釣りに熱中しているときは、精神状態があまり良くない時なのです。
 あれこれ考えることをやめたい時に、釣りモードになって、自然に精神的なシュトルム・ウント・ドランクが整理されるのを待っている、という事かと思います。


 今日は雑談です。

 以前から書き進めている『人間関係調整学』というE-BOOKがあるのですが、書き進むほどに、知れば知るほど、考えれば考えるほど深みにはまるようで、遅々として進みません。

 関連のブログも、MT(ムーバブルタイプ)のバージョンアップや、サーバー移転などで、開店休業状態から新装開店にこぎ着けました。

         『人間関係調整力

 「学」というのをやめて「力」と変えたのも、心の問題は科学では解明しきれるものではないと考えたからですね。


 どうでも良いことかと思いますが、
 最近、メインのパソコンを更新しましたので、パソコンのデスクトップ・ヒロインに気になっていた人を抜擢しました。

 キリンビールの「氷結ストロング」のCMで、あまりうまくない「青い珊瑚礁」を歌いながら、決して軽やかでないステップで跳ねている女性、深田恭子さんです。

 モデルさんのようなスレンダーな体ではない、重そうで肉感のある「透明ダンス」編は、どこか素人っぽさを感じさせ、セクシーですね。ナイスバディーが売り物ですから、当然ですが。
 
 あのCMの真っ赤な唇のキリッとした表情のPhotoが欲しかったのですが、見あたりませんので、唯一OKだと思える一枚をゲットしました。

 いま、デスクトップの画面はこんな感じです。



 画面の端からのぞいているのを横目に、人間関係の原稿を書く…話しかけるように書く気になりますね。このE-BOOKが完成するまでは、壁紙をチェンジしないでおこうかなと思います。


 

2008年4月23日

ゾーンに入る

 これまでの話をまとめますと、

 外発的な報酬が動機である行動は、傑出した偉大な成果をもたらすような大仕事を生み出すことは少ないが、一定程度の成果を上げることが出来る。

 一方、内発的なモチベーションを以てフロー状態で成し遂げる場合、時として天才的なあるいは想像を絶するような成果をあげることがある。

 かなり飛躍がありますが、以上のようなことですね。

 外的な報酬でやることは、端的に言うと計算と力業の仕事なのだと思います。

 ところが、フロー状態にはいると、必要な情報は向こうからやってくる。情報だけでなく、人・金・物もおあつらえ向きにやってきたりして、それらが融合して大きなエネルギー体となるのです。


 昨日、プロ野球のロッテ対ライオンズ戦で、ロッテの先発渡辺俊投手の投球を、興味深く見ました。

 というのは、先日、日本放送の番組で渡辺投手が「ゾーンに入る」という話をしていたからです。

 渡辺投手は昨シーズンは不調で、今シーズンを前に断食をやったのだそうです。

 断食をしたら、体の感覚が鋭敏になって、忘れていた指先の感覚を取り戻すことができたし、体の狂い(アンバランス)も分かって、修正することが出来た、という話をしていました。


 その話の中で、投手というのは野手と違って、バッターと1対1で向き合うため、そこだけの空間のようなものを感じ、リズムに乗ってくるとゾーンに入ってしまうものです、という意味のことを言っていましたね。

 ゾーンに入ると、 たとえば打者がどんな球を待っているのかが分かったり、普通なら打たれるところに球が行ってしまっても打たれない。やることなすこと、予想以上にうまくいくという体験ですね。
 このゾーンというのが、マイクロ・フローなのだと言って良いでしょう。

 昨日、渡辺投手の投球を見ていて、3回頃から「入ってきたな」ということが分かりました。


 私がなぜ、このフローについて再三取り上げるのかと言いますと、マイナスの自己イメージを突破するのはフロー体験を通じて突破するのが一番だ、と考えているからです。


 昨日「深いい話」というTV番組で、アーチェリーの山本博選手が、

 「経験豊富なベテランというのは、過去の失敗体験を思い出したりして、いざというときに迷いを生じて練習の成果を出すことが出来ないことも多い。失敗経験がほとんどない若い選手の方が、迷いがなくて勢いに乗りやすい」

 …というようなことを語っていました。

 山本選手は、余計なことは一切考えずに、目の前の的にすべてを集中するようにして、迷いを思い出さないようにして、メダルを獲得できたといいます。これも、マイクロフロー状態を語っているのです。

 闘犬でも、軍鶏(シャモ)の闘鶏でも、亀田兄弟でも、実力を身につけるまでは強豪とは対戦させず、咬ませ犬と戦わせて自信を付けさせるというのは、格闘技の一つのセオリーです。


 セルフイメージを変える・良くするということは、ポジティブ・シンキングだけではダメなことは、あなたも実感していることでしょうね。
 あるいは、夢と目標を紙に書いて、繰り返し繰り返し目にして、声を出して読み、心に刻みつける…
 とか。

 短期的な成果を出すことは出来ますが、やはり心から納得していないことは、変えられないものです。
 
 ポジティブ・シンキングを実行しているうちに、逆にそれがシャドーとなって、自縄自縛になっている人を見かけます。

 以前、知り合いだった方ですが、模範解答のようなポジティブ・シンキングの女性がいました。
 女性ですので、ひとの感情的な波動を察知することが鋭く、マイナス波動を振りまく人から遠ざかろうとします。
 それは本能的なことなので、かまいませんが、電車通勤で、隣にネクラそうな人が座ろうものなら即座に逃げ出すのですが…

 朝の痛勤電車は寝不足で不機嫌な顔の洪水、夜の痛勤電車は疲労感とストレスで不機嫌な顔がいっぱい。毎日、右往左往する、という話を聞いて、間違ってるなと思いました。

 マイナスの感情も、人を育てる重要な要素なのです。それを経験することで、相手への思いやり、つまり想像力が養われます。
 それを否定して、シャドーを生み出し、自縄自縛の落とし穴に陥っているわけですね。


 男女関係でうまくいかない女性の場合、セルフイメージが低い方が少なくありません。自分を好きでない、好きになれないどころか、女としての自分を嫌っている方もいます。
 それは、成長過程での、親との関係という長い歴史の中に原因があり、払拭することは難しいものがあります。

 いっそ、セルフイメージを変えるとか、プラス思考だとかは「そんなの関係ねェ~」とけっ飛ばして、自分が熱中できることに没頭して、一切忘れてしまう時間を持つことの方が遙かに効果があります。

 自分が満足したことを思い切り楽しむ、その充実感こそがあなたを心の底から輝かせてくれるのです。マイクロフローを大切にして、充実感を味わうこと。その繰り返しこそが、幸運の女神と出会う道なのです。

 あなたも、自分のゾーンを見つけ出してみてください。

2008年4月17日

内発的報酬、外発的報酬

 北京オリンピックの馬術種目で、66歳の法華津 寛(ほけつ・ひろし)さんが、東京オリンピック以来44年ぶりに五輪代表に選ばれたニュースはご存じですね。

 88年のソウル五輪では、代表に選ばれながらも直前の輸送で愛馬が検疫に引っ掛かり断念、とかいろいろ歴史があるようです。

 その法華津寛さんがNHKのインタビューで、
「オリンピック出場を目標にしていたのなら、今日まで馬術を続けていなかったでしょう」という話をしていました。
「もっと、もっと上手くなりたい、という思いでやってきただけです」ということです。

 アナウンサーは、「深い話ですねー」というコメントをしていましたが、飛び抜けた成功あるいは成果・結果を残す人というのは、前回も述べましたが、内発的動機(内発的報酬)でやる人がほとんどですね。

 やっていくうちに、そこにたどり着いてしまう、というのが正しいのかもしれません。

 それに対して、多くの人は外発的報酬という価値観を植え付けられているために、「深い話ですねー」という感想になる。
 深いのではなく、価値観が違うのです。


 さて、前回の話の続きになるのですが、
 内発的な動機で物事に没入することを、フローに入るといいます。
 運動選手などは、(リズム・波に)乗る、とか(自分の世界・流れに)入る、という言い方をします。

 同じ事は、仕事でも、書くことでも、遊びでも言えますね。
 日常生活でも、ちょっとしたことでフローに入る。
 これをチクセントミハイ教授はマイクロ・フローと名付けました。

 そして、このようなマイクロ・フローを大切にすることが、スムーズな人生の秘訣だ、と天外さんは言う。

 この「Onフロー、Offフロー」の一連の流れに乗って何かをやっていると、
 求めている情報や人、チャンス、ビジネスであれば必要な資金などが、偶然のように向こうからやってくる…
 ということが起こるようになります。

 ひとことで言うと、「運命を感じるような偶然の出来事」が起こってくる、ということです。

 たぶん、あなたも似たような経験をされているはずです。


 私の例ですが、
 ゴルフ場の経営戦略を執筆していて、この業界は価格戦略のない世界でどんぐりの背比べをしているだけだ、という大きな問題点に気付きました。
 それなのに、差別化戦略も持っていないため、お客様はゴルフ場リストの最初の方から交通の便などで選んでしまう。

 ということから、『ゴルフ場銀座で、一人勝ち経営戦略』というE-Bookの第2弾を書き上げました。
 その構想をまとめ上げていた時に、日本経営合理化協会から新刊書籍のDMが届きました。

 『価格の決定権を持つ経営』(著者:坂井光雄) 定価:本体一万五千円(税別)

 あまりのジャストタイミングに驚きました。案内と、目次を読んで、思わず「これだよ!」と声を上げてしまいましたね。

 著者の坂井光雄さんは、企業と商品の「価値作り」を事業戦略にまで高めた人気経営コンサルタントで、日経新聞が実施した「企業が評価する経営コンサルタント調査」で、世界五大会計事務所の一つと同一ランキング、とされた方です。(氏が経営するブレインゲイト株式会社が対象)

 私は、思わず「これを読んでは、まずい」と思いました。自分の構想がこの本に影響を受けて、引きずられる恐れがあったからです。


 私は、外資に買収されたゴルフ場で、新年度の予算策定に関わることが出来ましたので、自分の担当部門だけでなくすべての部門の予算構築を知ることが出来、さらには傘下の他のゴルフ場の情報も調べ上げて、独自の経営戦略を模索しました。

 その後、人間関係の資料を集めている時に、なんとブックオフでこの本を見いだしたのです。
 一般書店には出ない直販の高額本でしたが、この古書店に出ていて、他の本を探している時にぱっと目に付いた…


 もちろん、この時は、即買い物かごに入れました。
 内容、形式、文章は異なりますが、考え方が全く同じという事が分かり、自分のE-Bookの内容レベルに自信を持ちました。私の場合は、現場の業務に精通しており、経営戦略まで一貫して見通して書いている点が、より具体的だなと思えました。


 出会うべくして、出会った、という思いを深くしました。
 私の経営コンサルティングのバックボーンとして、裏打ちをされたように思え、自信を持ってアドバイスができるからです。


 このような、偶然と思えない偶然がやってくる、それはフローというものがもたらしている、と思えます。
 人の思い・想念というものはエネルギーとして伝わり、作用する、と私は考えています。

 次回は、そのことについて触れてみます。

2008年2月24日

人生を良い方向に導くフロー、天外伺朗「運命の法則」


 ソニーが開発したロボット犬AIBOの開発責任者である天外伺朗さんの『運命の法則』を再読して、最近感じるところがありました。

 それは「フロー」というものについてです。

 フローというのは、簡単に言いますと、「時間を忘れて、何かに熱中・没頭している時の精神状態」ということです。Mihaly Csikszentmihalyi が1975年に提唱した心理学の用語です。

 何か好きなことに熱中しますと、楽しくて、時間感覚がなくなり、疲れを感じず、小さな達成感に自分の能力や進歩を感じ、ウキウキとした高揚感を感じますよね。それが、フローの状態です。

 ことばの説明だけでは、それがどうしたのという感じなのですが、実は「フロー」こそが、あなたの人生に幸運をもたらす鍵なのだ、ということですね。

 「何か好きなことに熱中する」これがフローの原型です。


 人の行動の動機には、内発的な欲求と外発的反応行動とがあります。
 端的に言いますと、「やる気」と「やらせられ気」との違いを考えてみると、お分かりいただけると思います。

 母親から「勉強しなさい!」と尻をたたかれて勉強しても、少しも身が入らないし、成果が上がりにくい。

 それに対して、ゲームなどに熱中すると寝る時間も、食事の時間も惜しんで…

 私の息子も、ゲームの攻略情報を集めるために、1~2日で、パソコンとインターネット検索をマスターして、攻略情報の文書データを作成していました。

 ゲームに限らず、好きなことに熱中していると、天才的になるものですね。

 昔から、「好きこそモノの上手なれ」といいます。 これは、少し控えめな表現ではないかな、と思えます。

 というのは、昔から画期的な発明・発見とか、偉大な仕事とかは、必ずと言っていいほど、その裏に熱狂的な情熱の物語があるからです。


 まあ、それほど大げさな話でなくとも、先日の大阪国際女子マラソンで、よもやの失速をした福士加代子選手の後日インタビューを見ていて、この方もフロー型の人だな、と思いました。

 直接対戦相手とコンタクトする競技と違って、陸上競技の場合は「自分との戦い」という面が強いものです。

 インタビューアーが「北京への切符は絶望的ですね」というような事を尋ねたのに対して、福士選手は


 「私的には、北京がなんぼのモン?」っていう感じですね。

 何が何でも、北京という意識はなかった。

 私は、自分が納得できる走りをしたかったから、最初から飛び出したのであり、他の選手のペースは気にならなかった。レースに勝つだけが目標ならば、自滅するような走り方はしないんでしょうけども、私は自分の走りをしたいだけだし、それでどうなるか…ということですね」

 …というような、話でしたね。

 「何度も転びながら、笑っていたのは、意識朦朧だったわけではなく、脱水症状ってこんな風になってしまうのかって、自分でもおかしくて、笑いがこみ上げてきただけ…」

 彼女にとって、自分の走りをすることで得られる満足感が重要なのですね。 これこそが、内発的な報酬という事です。

 現代社会では、ひとの行動はお金や地位、名誉といった成功への期待、あるいは、その裏返しの状況や処罰などへの恐れ…

 それらによって動機付けられるという考え方が一般的になっています。 これを、心理学者のチクセントミハイ教授は外発的報酬と定義しました。

 ですから、仕事というのはつまらなくとも、やりたくなくとも人生の大半の時間を費やすものであり、遊びでは思い切り好きなことをやる…

 よく働き、よく遊べという価値観を現代人は条件付けされているわけです。

 仕事だから、しょうがない…という飼い慣らされた思考回路を、多くの人が持っていますね。

 あなたの口癖になっていませんか?


 私も、物書きをやっていて、1行も書き出せなくとも机の前に一日座っているのがプロであり、思いついた時に好きなことを書くのはアマチュアだ、という考えにとりつかれている方です。

 しかし、チク教授は(略して失礼)、それが仕事であれ、遊びであれ、没頭していることはすなわち喜びであり、喜びを感じる時は没頭している状態である、ということに気付いたわけです。

 それを、教授は内発的報酬と名付けました。
 この内発的報酬がほとんど無視されているのが、今の社会の大問題だと、教授は問題提起をしています。

 仕事か遊びかという区別ではなく、内的報酬か外的報酬か、という視点から考えてみましょうということですね。

 外的報酬という考え方は、

 フロイトやユングの流れを汲む深層心理学に対するアンチテーゼとして提唱されたものです。

 深層心理学は、内観的方法によって、

 無意識・潜在意識という領域に人の行動の動機を見いだそうとする…

 

 それに対して、当時台頭してきたワトソンらの行動主義心理学は、

 人の行動を、外的な刺激とその反応という要素に分解して、科学的に研究しようとする。

 内観的方法論は非科学的だと切り捨てたわけです。

 しかし、科学というのは本来、分科の学です。

 たとえば、医学といっても、内科と外科に大分され、さらに内科は脳神経だ、循環器だ、消化器系だ…と細分化されています。

 科学的ということは、有機的につながりあっているものから、特定の要素だけを取り出して、その原因と結果を明らかにする方法だということです。

 ですから、研究対象以外の要因については、判断しませんよという前提があるのですね。

 「なぜ殺したのか? /太陽がギラギラ照りつけていたから…」という、アルベール・カミュ的世界は、行動心理学では説明しづらいでしょうね。

 このように、外的報酬という考え方が優位になっていった心理学界の中で、チク教授は内的報酬とフローという概念を提唱したわけです。

 けれども、東洋的な文化背景では「内発的報酬」というタームには違和感があるかもしれません。

 これは刺激と反応という、行動主義心理学のカテゴリーに沿った、対応語として考えられているからですね。

 私的には、楽しむこと自体が目的であり、プロセスであり、結果である、と思います。一連のものであり、不可分のものであり、デジタル2分法(科学)は一部分だけをとらえているに過ぎない、と言いたい。

 マクロビオティックの創始者である桜沢如一は、

 「仕事を遊びにせよ。遊ばざるもの食うべからず!」と、西欧思想に渇を入れました。

 我が国で、道(どう)と名が付く行動様式…つまり剣道、茶道、華道、書道、合気道、古武道、新体道…すべて、奥義と言われるものは深いフロー状態(=瞑想)を極致としているのです。

 さらにさかのぼれば、かの般若心経…

 「観自在菩薩深般若波羅蜜多時、照見五蘊、度一切苦厄」

 「仏陀が、深い瞑想に入りし時、人の五感が捉えるすべては空であると悟り、一切の苦しみや災いから解き放たれ、救われた」というくらいの意味です。後に続き文言は、その解説ですね。

 我田引水になりますが、私の『タナゴ釣り奥義』にも、宮本武蔵の『五輪の書』を引用して…

 「見の目弱く、観の目強く」というのが、ベクトル目印を見る奥義の一つですよ、と解説しています。

 これは「動禅」という考えを前提にしています。

 例えば、歩きながら瞑想する「経行(きんひん)」などと同じ状態に入って、目印を見なさいということです。遊びの奥義も、当然のことですがフローですね。

 内発的動機とフローが、キーワードです。

 この続きは次回に…