「書物の解体学」の方法論を探ろうとして取り上げたのですが、田村隆一の深淵にはまり込み、吉本の言葉に首根っこを押さえられて、退くことができない状態ですね。
このブログの意図とは違う世界を引っ張り込んでしまって、別ブログを作るかとも考えています。それをやると、このブログは多分終わりになってしまうかもしれません。
さて、「虹色の渚から」で田村と出会い、この詩が収められている「新年の手紙」以降、彼の詩が意図して言葉の軽味を求め始めたことに違和感を感じ、その詩業を遡るようにその世界をたどっていった。
この変貌について、吉本は次のように書いている。
「中期以降この詩人は時熟し、変貌する。一本の疾走する矢であった詩は、生からしぼり出される抽象的なしずくをとりあつめて湛える壺に変貌する。鬱然とした生の記録であり、思索であり、感覚の紀行文であり、行動から溢れてくる思想の時差であり、それらを詩という器に盛り込んだ祝祭のような言葉の森林となる」
読解する前に、吉本の評論の言葉が優れた詩のようであることに、感嘆する。
「一本の疾走する矢」という暗喩の一言で、田村隆一という詩人の初期作品の特質を言い表している。
ここはどういうことを言っているのかというと、「四千の日と夜」、「立棺」の田村の言葉は、贅肉を極限までそぎ落とし、抽象的な思考の表現と言いうるほどの詩形態となり、ただとらえるべき対象を射貫くために研ぎ澄まされて放たれた矢そのものだ、ということです。
怒っているのでもない、嘆いているのでもない、嘆息しているのでもない。かれは、幻を見る人として、自らの言葉を直立させることにのみ、意を注いだと。
それに対して、壺というのは永遠に黙して受け容れるもの、のメタファーである。
射貫くための武器であった「疾走する矢」が、「すべてを受け容れる」壺に変化していく。
吉本は、詩人の感性で田村の詩のキーワードをとらえて、その変遷を提示してみせる。
「この詩人の共同体の感性を暗喩するキイ・ワードからは、「死」と「雨」とが消えて、「窓」と「鳥」だけになる。もっと細かくいえば「鳥」も消えてしまって、そのかわりに「木」があらわれる」
木は愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて 枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて 空にかえすはずがない (「木」)
確かに、私もまた田村の詩のキーワードを捉えてはいたのだけれども、解釈の仕方が違っているようだ。何が違うのかといえば、木というものに対する連想が異なる、ということに尽きる。
「この詩人の中から上昇し、また落下する「鳥」の動的な比喩は消えて、そこにいつまでも佇立しているようにみえて、じつは地下から吸い上げて空に上昇させている何ものかを秘めた「木」の像的な比喩があらわれる。この比喩の変貌には偶然でないものがうかがえよう。」
…として、吉本は、田村の日常の平穏な生活の中に、(戦争の「死」という)死者の時間が染みわたっていったのだ、と捉える。
わたしにとっての木というのは、果実を実らせ、それが地に落ちて新たな芽吹きを起こさせる輪廻の象徴というイメージがつきまとう。わたしにはグミの木に登ってはグミの実を味わった少年時代から、無花果や柿をもいで食べた青年期まで、「成りもの」の木に慣れ親しんでいたということがある。
その「成りもの」の木のイメージに、新たなイメージを付加することになったのは屋久島で生涯を終えた山尾三省の「聖老人」であった。

『自己への旅』
「聖老人」とは、屋久島の縄文杉をさしている。
三省さんはこの杉の木に「老聖人」を幻視し、「聖老人」という詩を書き上げた。
老聖人としなかったのは、この縄文杉にえもいわれぬ抱擁感と親しみを感じたからであろうか…。
山尾三省は吉本のいう「生を削り」尽くして、地に還っていった詩人であった。
わたしのベッドの脇には背の低い横長の書棚があり、布団に入ってから、気の赴くままに本を取り出して読むのだが、読みかけの本を置いておく木の椅子の布張り座面には、もう3年間も『自己への旅』が置かれている。
樹齢三千年ともいわれる生命を生きている老成樹は人智をこえた英知の象徴だといってよい。
三省さんはみえないものが見えるタイプの人であり、そういうものがなくとも、見えないものを見ようとする意志を持った人ですから、聖なる老人を見た心的体験をオブセッションと形容することはできない。
杉や樅あるいはカラマツなど、実のならない木に対しては、とたんに私は即物的なイメージしか持ち得なくなってくる。
ところが、吉本は田村が描いた木が表象するものは、じつは田村自身の詩的営為の姿そのものなのだ、と喝破している。
「わたしたちはこの詩人の詩作品が、様式としてみても、現在に近づけば近づくほど万華鏡のように多彩で自在になってゆく有様をみることができる。何となく言葉に刻みつけ得る実在は、ことごとく魔法の壺の中に投げ込んで、詩的溶融を遂げる方法を手に入れてしまっている。よくここまで歩み込んできたと思う。なぜかというと、もう他人の評価をどこかで当てにして詩を書いているといった次元を離脱して、ひたすら吸い上げた言葉を空にかえすことを反復している「木」のように、営々と詩を書いているこの詩人の姿が視えるからだ」
屋久島の縄文杉のようではないのだけれども、鎌倉の姿を消しつつある谷戸のどこかに生えている老成木でもイメージすればよいのだろうか。
詩人田村隆一は、自らが聖老人となってその生を空に返し尽くして歩み去っていった。
吉本は最後に、このように結んでいる。
「詩の解体を詩人の生理的な解体と同一化した詩人たち、いいかえれば詩の言葉を生理的な肉体の内部にまで食い込ませるように行使することで、詩の言葉の蕩尽が肉体の蕩尽と同じだと言える詩人たちは、もはやこの詩人の以後には存在しなくなった。
この記念碑的な事実に向かって、わたしたちは眼にみえないたくさんの涙を注ぐのである」
今の年齢になれば理解できることではあるけれども、私が「虹色の渚から」に出会ったのは20歳。
そして、ただ対象を射貫くためにだけ研ぎ澄まされた「一本の疾走する矢」に惹かれて、すれ違い遠ざかってしまった失われた年月。
どうしても、次の言葉が出てこないのだけれども、「書物の解体学」について書いているので、さらに読み進めていくことにして、この章を終わりたい。
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