2008年2月24日日曜日

人生を良い方向に導くフロー、天外伺朗「運命の法則」


 ソニーが開発したロボット犬AIBOの開発責任者である天外伺朗さんの『運命の法則』を再読して、最近感じるところがありました。

 それは「フロー」というものについてです。

 フローというのは、簡単に言いますと、「時間を忘れて、何かに熱中・没頭している時の精神状態」ということです。Mihaly Csikszentmihalyi が1975年に提唱した心理学の用語です。

 何か好きなことに熱中しますと、楽しくて、時間感覚がなくなり、疲れを感じず、小さな達成感に自分の能力や進歩を感じ、ウキウキとした高揚感を感じますよね。それが、フローの状態です。

 ことばの説明だけでは、それがどうしたのという感じなのですが、実は「フロー」こそが、あなたの人生に幸運をもたらす鍵なのだ、ということですね。

 「何か好きなことに熱中する」これがフローの原型です。


 人の行動の動機には、内発的な欲求と外発的反応行動とがあります。
 端的に言いますと、「やる気」と「やらせられ気」との違いを考えてみると、お分かりいただけると思います。

 母親から「勉強しなさい!」と尻をたたかれて勉強しても、少しも身が入らないし、成果が上がりにくい。

 それに対して、ゲームなどに熱中すると寝る時間も、食事の時間も惜しんで…

 私の息子も、ゲームの攻略情報を集めるために、1~2日で、パソコンとインターネット検索をマスターして、攻略情報の文書データを作成していました。

 ゲームに限らず、好きなことに熱中していると、天才的になるものですね。

 昔から、「好きこそモノの上手なれ」といいます。 これは、少し控えめな表現ではないかな、と思えます。

 というのは、昔から画期的な発明・発見とか、偉大な仕事とかは、必ずと言っていいほど、その裏に熱狂的な情熱の物語があるからです。


 まあ、それほど大げさな話でなくとも、先日の大阪国際女子マラソンで、よもやの失速をした福士加代子選手の後日インタビューを見ていて、この方もフロー型の人だな、と思いました。

 直接対戦相手とコンタクトする競技と違って、陸上競技の場合は「自分との戦い」という面が強いものです。

 インタビューアーが「北京への切符は絶望的ですね」というような事を尋ねたのに対して、福士選手は


 「私的には、北京がなんぼのモン?」っていう感じですね。

 何が何でも、北京という意識はなかった。

 私は、自分が納得できる走りをしたかったから、最初から飛び出したのであり、他の選手のペースは気にならなかった。レースに勝つだけが目標ならば、自滅するような走り方はしないんでしょうけども、私は自分の走りをしたいだけだし、それでどうなるか…ということですね」

 …というような、話でしたね。

 「何度も転びながら、笑っていたのは、意識朦朧だったわけではなく、脱水症状ってこんな風になってしまうのかって、自分でもおかしくて、笑いがこみ上げてきただけ…」

 彼女にとって、自分の走りをすることで得られる満足感が重要なのですね。 これこそが、内発的な報酬という事です。

 現代社会では、ひとの行動はお金や地位、名誉といった成功への期待、あるいは、その裏返しの状況や処罰などへの恐れ…

 それらによって動機付けられるという考え方が一般的になっています。 これを、心理学者のチクセントミハイ教授は外発的報酬と定義しました。

 ですから、仕事というのはつまらなくとも、やりたくなくとも人生の大半の時間を費やすものであり、遊びでは思い切り好きなことをやる…

 よく働き、よく遊べという価値観を現代人は条件付けされているわけです。

 仕事だから、しょうがない…という飼い慣らされた思考回路を、多くの人が持っていますね。

 あなたの口癖になっていませんか?


 私も、物書きをやっていて、1行も書き出せなくとも机の前に一日座っているのがプロであり、思いついた時に好きなことを書くのはアマチュアだ、という考えにとりつかれている方です。

 しかし、チク教授は(略して失礼)、それが仕事であれ、遊びであれ、没頭していることはすなわち喜びであり、喜びを感じる時は没頭している状態である、ということに気付いたわけです。

 それを、教授は内発的報酬と名付けました。
 この内発的報酬がほとんど無視されているのが、今の社会の大問題だと、教授は問題提起をしています。

 仕事か遊びかという区別ではなく、内的報酬か外的報酬か、という視点から考えてみましょうということですね。

 外的報酬という考え方は、

 フロイトやユングの流れを汲む深層心理学に対するアンチテーゼとして提唱されたものです。

 深層心理学は、内観的方法によって、

 無意識・潜在意識という領域に人の行動の動機を見いだそうとする…

 

 それに対して、当時台頭してきたワトソンらの行動主義心理学は、

 人の行動を、外的な刺激とその反応という要素に分解して、科学的に研究しようとする。

 内観的方法論は非科学的だと切り捨てたわけです。

 しかし、科学というのは本来、分科の学です。

 たとえば、医学といっても、内科と外科に大分され、さらに内科は脳神経だ、循環器だ、消化器系だ…と細分化されています。

 科学的ということは、有機的につながりあっているものから、特定の要素だけを取り出して、その原因と結果を明らかにする方法だということです。

 ですから、研究対象以外の要因については、判断しませんよという前提があるのですね。

 「なぜ殺したのか? /太陽がギラギラ照りつけていたから…」という、アルベール・カミュ的世界は、行動心理学では説明しづらいでしょうね。

 このように、外的報酬という考え方が優位になっていった心理学界の中で、チク教授は内的報酬とフローという概念を提唱したわけです。

 けれども、東洋的な文化背景では「内発的報酬」というタームには違和感があるかもしれません。

 これは刺激と反応という、行動主義心理学のカテゴリーに沿った、対応語として考えられているからですね。

 私的には、楽しむこと自体が目的であり、プロセスであり、結果である、と思います。一連のものであり、不可分のものであり、デジタル2分法(科学)は一部分だけをとらえているに過ぎない、と言いたい。

 マクロビオティックの創始者である桜沢如一は、

 「仕事を遊びにせよ。遊ばざるもの食うべからず!」と、西欧思想に渇を入れました。

 我が国で、道(どう)と名が付く行動様式…つまり剣道、茶道、華道、書道、合気道、古武道、新体道…すべて、奥義と言われるものは深いフロー状態(=瞑想)を極致としているのです。

 さらにさかのぼれば、かの般若心経…

 「観自在菩薩深般若波羅蜜多時、照見五蘊、度一切苦厄」

 「仏陀が、深い瞑想に入りし時、人の五感が捉えるすべては空であると悟り、一切の苦しみや災いから解き放たれ、救われた」というくらいの意味です。後に続き文言は、その解説ですね。

 我田引水になりますが、私の『タナゴ釣り奥義』にも、宮本武蔵の『五輪の書』を引用して…

 「見の目弱く、観の目強く」というのが、ベクトル目印を見る奥義の一つですよ、と解説しています。

 これは「動禅」という考えを前提にしています。

 例えば、歩きながら瞑想する「経行(きんひん)」などと同じ状態に入って、目印を見なさいということです。遊びの奥義も、当然のことですがフローですね。

 内発的動機とフローが、キーワードです。

 この続きは次回に…

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